中水道逆除閘門の竣工記念碑

 逆除閘門記  逆除閘門記(北葛飾郡杉戸町本島) 明治44年(1911)5月建立
 大島新田関枠の北側、大島新田川(旧中水道)が北付廻堀に
 合流する地点に建てられている。この地点には現在、代替施設と思われる
 RC樋門が設置されている。碑文には、大島新田の中央に 中水道と
 呼ばれる悪水路を掘り、元文3年(1738)に、中水道逆除閘門を設置したとある。
 明治43年の大洪水で忍中條(利根川右岸の
中条堤)と荒川堤(荒川左岸)が、
 決壊し、その影響で古利根堤が破堤し、中水道逆除閘門(木製)が
 破壊されたとも記されている。翌明治44年、中水道逆除閘門は煉瓦造りで
 修復された。4月に起工し5月に竣工とあるので、ものすごい早さである。
 碑の裏側には工事関係者名が記されている。
 工事長 高柳藤作、技手 五月女米吉、板橋繹、
 工事監督 盛田徳次郎、仕立人 藤村安五郎
 工事長の高柳はこの時、埼玉県の杉戸工区長であり、
 翌年には再び五月女とコンビを組んで、
 
二郷半領用水逃樋(三郷市、第二大場川)の工事を担当している。
 なお、板橋繹は安戸落が中川に合流する地点に設けられたRC樋門、
 安戸落逆止堰(昭和6年竣工、現存)の竣工記念碑にも名を連ねる。
 北葛飾郡八代村(現在の幸手市)出身である(埼玉県行政文書 明1969-11)。

 中水道逆除閘門は北葛飾郡八代村大字戸島に建設された。
 大島新田の悪水を、中水道から付廻堀へと排水する施設である。
 中水道の末端、大島新田南端の堤防に伏せ込まれたようである。
 吐き口(付廻堀の側)にはゲートが設けられ、洪水時に付廻堀から
 中水道へと水が逆流するのを防いでいた。
 通水断面は
箱型で幅5尺、高さ4尺の1門、樋管長は35尺(約10.5m)。
 使用煉瓦数は約14,900個(表積:
選焼過一等5,100個、裏積:焼過一等9,800個)、
 セメントは浅野セメントの製品が使われた。
 埼玉県立文書館には中水道逆除閘門の設計図と
 関連文書が保管されている(埼玉県行政文書 明3001-186-2)。

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