柴山伏越 (その2) (その1

 撮影地: 南埼玉郡白岡町柴山

 明治20年に建設された煉瓦造りの伏越の写真が、インターネットで公開されている。
 それによると、通水断面は円形で、直径は約3.5mである。
 → 土木学会附属土木図書館の戦前土木絵葉書ライブラリ、5.河川−2  101.見沼伏越竣工記念(煉瓦)
 (http://61.199.33.80/Image_DB/card/05_image_thum2.html

 柴山伏越の竣工記念碑
↑柴山伏越の竣工記念碑
 明治20年(1887)建立。
 煉瓦造り伏越の竣功を記念したもの。
 →補足
   記念碑の題字  ←記念碑の題字
 柴山伏越改造之碑と
 篆刻されている。
 篆額(題字)は、
 埼玉県知事
 吉田清英
 撰文(碑の文章)は中島慶

   銘板
 ←銘板
 柴山伏越(現施設)の呑口側。
 金属製の銘板で、施設名は
 右から左に記されている。
 戦前のものなのだろうか?
 現在の柴山伏越は煉瓦造りの
 頃から数えて3代目である。

(補足)碑文によると、建設費15,396円の全額を埼玉県と東京都が負担している。
 使用煉瓦数23万個の巨大な構造物であるにもかかわらず、
 明治20年1月に起工し4月に竣工、わずか3ケ月で工事は完了している。
 碑の背面には工事関係者名が記されているが、
 それによると、工事担任は埼玉県二等技手
 小林柏次郎。
 柴山伏越は埼玉県で最初に起工された煉瓦造の河川構造物なのだが、
 その工事担任(現場監督や指揮だろう)が、二等技手なのは意外である。
 技手とは技術官の役職名だが、技師よりも地位は低く、一般的に技術力は低かった。
 このことからも柴山伏越の設計や工事指導はムルデルが担当し、
 小林がその補佐をおこなったのだと推測される。
 一方、土木主任は北足立郡書記
 植松隆作と石川政義
 明治23年の行政文書に埼玉県技手
 石川政義と記された人物がいるが、
 たんなる同姓同名であろうか(→埼玉県行政文書
 明1750-93)

柴山伏越へ戻る