上武大橋 (その2)
↑上武大橋の主径間 (右岸から) 垂直材付きの曲弦ワーレントラス。古いトラスなので リベットを多用した造りである。トラスを構成する部材は、 シングルレーシングで結合されている。格点はガゼットによる剛結。 |
↑主径間の結合部 (上流から) トラスの橋脚への支承はピン結合。 片方はローラー付きのようだ。 トラス相互もピンで結合されている。 これは落桁防止のためであろう。 |
↑上武大橋の橋詰 (右岸から) 架橋当初からの巨大な親柱(高さは2.3m)が現存。 コンクリート製だが、表面には人造石で化粧が 施されているので、石造りのように見える。 以前は柱の頂部に橋灯が設置されていたようで、 それらしき形跡が残っている。 旧・戸田橋(荒川、1932年建設、親柱のみ現存)の 親柱と良く似たデザインである。 |
←修河架橋記念碑 埼玉県深谷市中瀬、不動堂 上武大橋の右岸橋詰から上流へ100m、 不動堂の境内。利根川の右岸堤防を 背にして建っている。明治21年(1888)建立 題字は伊東南堂。 明治架橋会社(中瀬村と対岸の平塚村の 有志を中心に結成)が募金を募って、 明治16年(1883)2月に利根川に架けた橋の 竣工記念碑。2月14日には利根川を 巡視中だった山田顕義内務卿、内務省の 石井省一郎土木局長を招き、渡り初めの 祝典が催されたことも記されている。 この木の橋が上武大橋の前身である。 なお、碑文には明治14年の洪水で 利根川の右岸堤防が決壊したさいに、 その復旧工事として近代工法 (粗朶沈床のようだ)を採用することに なり、明治14年12月に工師蘭人が この地を巡検したと記されている。 この蘭人とは明治政府の お雇い技術者だったムルデルのこと。 |
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