八幡堰の説明板
(注1)見沼代用水が開削されたのは享保12年(1727)であるが、当時の綾瀬川は 幕府によって、悪水落し(排水)専用の河川と定められていた。 延宝8年(1680)に綾瀬川用水堰禁止令が発布されている(→文献18、p.276) (注2)小貝戸堰は綾瀬堰とも呼ばれ、八幡堰と同じく煉瓦造り(使用煉瓦数約32,000個は 八幡堰の2倍)であった(→文献1)。小貝戸橋の付近に設けられていたようである。 なお、綾瀬川には明治34年(1901)に小針堰(別名.川口堰、 小針新宿字川口、使用煉瓦数約5,700個)も建設されている。 |
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