曝井橋 (さらしい)

 場所:枌木川(ねりぎ)、埼玉県児玉郡美里町広木
 形式:RCアーチ橋(1スパン)、全長 6.6m、幅 1.6m  建設年:不明(昭和10年代)

 曝井橋  ←曝井橋(左岸から)
 県道349号線の脇、常福寺の東側を流れる
枌木川に架かる橋。
 枌木川はここから300m下流で、志戸川(利根川水系の一級河川)へと
 名を変える。橋名の曝井とは織布を洗いさらした井戸のこと。
 ここでさらした布は調庸布(ちょうようふ)として
 朝廷に献納されていたという。曝井橋の右岸橋詰には、
 さらし井の旧跡(埼玉県指定史跡)が残されている。
 万葉集巻九の恋歌[曝井の歌]は、この地が発祥であるとされている。
 西側300mには、真足女(万葉集巻二十の防人の歌を詠んだ)の館跡もあり、
 この地はまさに万葉の里である。なお常福寺の創立は天平年間(730年頃)だという。

 曝井橋の右岸上流に見えるのは架設記念碑(題字は松久村長)。
 松久村は東児玉村や大沢村と合併し、昭和29年(1954)に美里村となった。
 碑の裏側には、おびただしい数の寄付金者名が記されている。
 曝井橋は地元の寄付金で建設されたようである。
 曝井橋の右岸にはお堂があり、地蔵尊(天保七年)や
 如意輪像(弘化三年)が祀られている。

 曝井橋
↑曝井橋(右岸から)
 設計者は本庄出張所長 笠原保三と同主任 林廣。
 ライズは約40cmと小さい。意匠に和風の趣きが
 あるので、アーチ橋というより反橋(そりはし)の方が
 ふさわしいかもしれない。橋面はフラットでなく
 反っている。護岸は玉石の練り石積み。

   親柱
  ↑親柱(上部から)
   高さ75cmの角柱(35cm角)だが、四隅には窪みが
   設けられている。親柱の頂部には写真のように
   凝った意匠の笠石が置かれている。
   親柱と欄干の表面には人造石によって、
   擬石風の化粧が施されている。   

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