大島新田関枠の竣工記念碑

 大島新田関枠の竣工記念碑

 堰の側壁には竣工記念碑(石造り)が埋め込まれていて、来歴や工事関係者名などが
 記されている。碑文冒頭には、大島新田関枠は悪水逆流を防御する大島新田の要閘なりとある。
 建設発起人は八代村長 新井愛太郎他3名、賛同?者として北葛飾郡長 須藤周三郎の名がある。
 大島新田関枠の設計者は、埼玉県技手 小河原 次良一。
 碑文に設計者の名前まで記されているのは、埼玉県の煉瓦水門では珍しい。
 小河原 次良一は、明治18年度(1885)に埼玉県の治水生徒に採用された、
 小河原 治朗一(埼玉県行政文書 明1717-9)と同一人物であろうか。
 小河原治朗一は安戸落伏越(明治31年(1898)竣工)の設計を担当している。
 釘無樋管(川島町、明治24年(1891)竣功)の現場監督を務めたのも、埼玉県技手 小河原 某である。
 (→明治廿三年度釘無圦樋改良叢書、埼玉県立文書館、宮前 鈴木庸行家文書3112)

 小河原治朗一は慶応三年(1867)、北葛飾郡吉田村(現在の幸手市上宇和田)生まれであり、
 明治23年11月10日に埼玉県技手、明治24年5月30日に利根川実測主任、明治26年4月1日に
 第一土功区駐在、明治31年12月16日には土木監督署の技手を任ぜられている(→埼玉県行政文書 明1933-39)
 なお、工事監督は埼玉県技手 青木 吉次郎、工事請負人は伊東新太郎と板橋安次郎。
 青木 吉次郎は明治28年5月、埼玉県の工事雇に採用され、29年8月には
 土木助手となっている。(埼玉県行政文書 明1807-53、明2435-66)


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