角川 (その1) (その2

 撮影地:埼玉県東松山市

 角川は延長3.7Km、流域面積7.0Km2の荒川水系の一級河川。
 源流(最上流)は東松山市大谷地区のため池であり、農業排水を集めながら県道307号線に
 沿って東へと流れる。東平地区に入ると流路を南へ変え、国道407号線に沿って流れて、
 最後は東松山市沢口町で滑川の左岸へ合流する。
 大谷地区の区間は、概ね用排水兼用の農業用水路であり川幅も狭いが、東平地区から
 終点までの区間は周辺に住宅が多くなるので、雨水排水路の形態に変わり、
 川幅は急激に広くなり掘り込みも深くなる。
 角川の流域には、丘陵の谷地をせき止めて造成したかんがい用のため池が数多く存在する。
 これらのため池からの水は最終的に角川に排水され、角川の貴重な水源となっている。

 なお、角川は武蔵国郡村誌の比企郡平村(六巻、p.401)では門川と表記され、”深一寸巾三間
 村の西北大谷村より来り東南流して滑川に入る 其間十一町十間 田二町五反歩の用水に供す”と
 記されている。同書の記述は明治9年の調査を基にしたもので、比企郡平村とは現在の東松山市東平。
 角川は幅約5.5mの農業用水路であり、水田2.5haのかんがいに使われていたことがわかる。
 深さ一寸は誤植でなければ、非かんがい期の水深のことだろう。
 また、大谷地区では角川の流路は県道307号線の旧道に沿っているが(写真5、6など)、
 この旧道は同書の比企郡大谷村(六巻、p.412)に記された川岸道のことであろう。
 河岸場があったとは思えないので、川岸という名は角川の岸辺に沿うことに由来するのだろう。

 市ノ坪沼
(1)市ノ坪沼(南側から) 東松山市大谷(おおや)
 滑川町山田との境界付近に位置するかんがい用の
 溜池が角川の源流の一つとなっている。付近の溜池は
 丘陵の谷間をせき止めたものが多いが、市ノ坪沼は
 形態的には平地に設けられた皿池である。
 写真の下部に見える円筒が取水口。
   源流1
  (2)源流1(下流から) 東松山市大谷
   市ノ坪沼から取水した用水路は2つに別れて、一方は
   比丘尼山(びくにやま)の裾に沿って流れる。比丘尼山(注)
   斜面には7世紀に造られた横穴墓群があるそうだ。
   比丘尼山の西側に位置する蓮沼(澄大寺の脇)からの
   用水も源流1へ流入している。

 串引沼
(3)串引沼(南側から) 東松山市大谷
 こちらは丘陵の鞍部に設けられた溜池。比丘尼山から
 北東へ300mの地点に位置する。奥に見えるのは
 ゴルフ場だが、周辺の丘陵には三千塚古墳群がある。
 串引沼は大雷神社(雷電山古墳の山頂)の神沼である。
 串引沼は老朽化が進んでいて、漏水や堤防の侵食が
 酷かったために、昭和39年から3年間をかけて現在の
 形に改修されている。取水口の脇に碑が建てられている。

   源流2

  (4)源流2(上流から) 東松山市大谷
   (3)から200m下流。串引沼から取水する用水路。水路幅は約1.5m。
   左岸は丘陵の裾に接した高台であり、道路が設けられている。
   右岸側には細長く、谷地田が展開している。
   串引沼の改修に伴い、水路も改修されたはずなのだが、
   流路は微妙に蛇行していて、護岸は練り石積みだったりする。
   写真中央に見えるような小さな橋が、数多く架かっているが
   みな取水堰(ゲートは
角落し)を兼ねていて、なかなか味わい深い。

 源流1と源流2の合流地点
(5)源流1と源流2の合流地点 東松山市大谷
 (3)から500m下流、上流から。源流1(手前から奥へ
 流れる)と源流2(左端)が合流する。水量が多いのは
 合流地点に堰板(木製)がはめ込まれているため。
 下流左岸の桜の木の下には地蔵、
巳待供養塔など
 4体の石仏が祀られていて、旧道の雰囲気が色濃く残る。
 下流右岸の吉ヶ谷石仏群(八雲神社)にも巳待供養塔が
 ある。巳待とは水に関する信仰である。

   
一級河川の管理起点
  (6)一級河川の管理起点(下流から) 東松山市大谷
   (5)から300m下流。宗悟寺の西側に起点の標石(大理石)が
   設けられている。角川の川幅は約2mであり、適度に蛇行して、
   流れている。素朴な農村景観である。右岸に沿って
   大谷の伝説と旧道コースが続く。これは歩けの街、東松山市が
   設定した遊歩道で、路面には赤いラインが施されていて、
   わかりやすい。角川と並行する県道307号線は
   荒川自転車道であり、森林公園へと通じている。

(注)比丘尼山という名前は源頼朝を援助(頼朝の乳母)した比企郡司の妻が、
 夫の死後に禅尼となって、この地に草庵を営んだことに由来するのだという。
 またこの付近には、比企能員の娘で後に源頼家(鎌倉幕府の二代将軍)に
 嫁いだ若狭局が、頼家謀殺後に移り住んだという場所もある。


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