庄内古川の旧堤防

 撮影地:埼玉県北葛飾郡松伏町金杉、吉川市上内川

 この旧堤防は庄内古川が江戸川へ合流していた頃の名残りである。
 松伏町金杉は地区の南端で吉川市上内川と接している。その境界に沿って、
 庄内古川の旧堤防が約1Kmに渡って残っている。ただし残っているのは左岸堤防のみで、
 右岸堤防は庄内古川の旧河道を埋め立てるために撤去されたという。
 また、旧堤防の存在は、江戸川の右岸堤防へすり付く付近が不明瞭となっている。

 庄内古川の堤防と中川の堤防
(1)庄内古川の堤防と中川の堤防(中川の左岸上流から)
 松伏町金杉1552付近(松伏中学校の対岸)。
 写真左が庄内古川の旧堤防、右が中川の左岸堤防。
 旧堤防の高さは中川の堤防と比べても遜色ない。
 旧堤防上にはここから150m東に、埼玉縣と記された、
 
古い様式の三角点が残っている。
   旧堤防
  (2)旧堤防(西から撮影)
   写真(1)から400m下流、この付近の金杉地区の字名は水汲。
   旧堤防を挟んで写真の右が吉川市上内川。かつての庄内古川の
   河道には水田が広がり、民家も多い。
   旧堤防は適度に蛇行しながら内川神社の付近まで続いている。
   堤防天端は舗装され、現在は町道となっている。

 内川神社の付近
(3)内川神社の付近(南から)
 写真(2)から300m下流。武蔵国郡村誌(明治9年の調査を
 基に編纂)の葛飾郡上内川村(14巻、p.232)に記された、
 庄内古川堤がこの堤防である。”庄内古川に沿ひ村の
 西方
 大川戸村界より南方 下内川村界に至る
 
長千七百二十一間 堤敷十二間馬踏二間 根堅め柳あり
 修繕費用は官に属す”とあるが、現在は周辺は水田へと
 変貌していて、柳の木はほとんど見られない。
 しかし敷幅が21.6m、天端幅が3.6mの巨大な堤防は
 健在である。田面との比高は約3mある。

   
新利根川碑
  (4)新利根川碑(右岸下流から)
   写真(3)から350m下流。野田橋(江戸川)の右岸橋詰から
   200m上流付近にあるのが、砥根河重蔬碑(とねがわじゅうそひ、
   松伏町指定有形文化財)。享保十三年(1728)に、それまで
   江戸川へ合流していた庄内古川は、江戸川と並行して流れるように
   改修された。工事を指揮したのは
井沢弥惣兵衛である。
   重蔬碑はこの工事によって江戸川の水害から解放されたことを
   記念して、元文元年(1736)に金杉村の名主が建立したもの。
   碑の下部に刻まれた奇怪な生物の形態から、地元では
河童石(水神)と
   呼ばれているそうだが、筆者には人面亀のように思えた。

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