附廻堀 (つけまわし)

 撮影地:埼玉県南埼玉郡菖蒲町

 附廻堀は延長約4Kmの農業排水路。鴻巣市笠原と騎西町中種足の境界付近を起点とし、
 概ね南東へ向かって流れ、県道12号川越栗橋線を横断した付近から流路を南へ変え、
 最後は菖蒲町小林で野通川の左岸へ合流する。
 附廻堀へ落とされているのは、主に野通川と見沼代用水からの農業排水である。
 かつて附廻堀の周辺には、小林沼などの沼沢地が存在した。附廻堀という名称は、
 沼沢地を干拓するさいに、沼地から水を抜くためや沼地への水の流入を防ぐために
 掘られた附廻堀(排水などを迂回させるための水路)に由来すると思われる。
 普通名詞である附廻堀が、そのまま堀の名前として今に残ったことになる。
 なお、附廻堀の流路は、概ね旧小林沼の北端に沿っていて、南端には三間堀(沼落堀)が流れる。

 附廻堀の上流部
(1)附廻堀の上流部(上流から) 菖蒲町小林
 稲穂通り(広域農道)から西へ400mの付近。
 附廻堀の流れは、野通川の左岸に沿ってさらに上流へと
 辿ることができ、かなり細流となるが、鷹橋(県道38号
 鴻巣加須線、鴻巣市笠原)の500m下流付近まで続いて
 いる。なお、附廻堀の右岸側には約250m離れて、三間堀が
 流れている。
   附廻堀の堤防
  (2)附廻堀の堤防(下流から) 右岸:菖蒲町小林、左岸:菖蒲町新堀
   写真(1)から1.4Km下流。ここまでの区間、附廻堀へは騎西町
   中種足、下種足地区からの排水路が左岸へ数多く合流している。
   附廻堀の特徴として、両岸の堤防の規模が明らかに違うことが
   挙げられる。左岸側の堤防の高さが田面から約0.5mなのに対し、
   右岸側は約1.5mあり、この規模の排水路の堤防としては、
   かなり立派である。
村囲堤の役割を果たしてきたと思われる。

 菖蒲城跡の付近
(3)菖蒲城跡の付近(上流から)
 左岸:菖蒲町新堀、右岸:菖蒲町小林
 写真(2)から1.5Km下流。この付近では川幅は約6mとなる。
 城下橋(県道12号川越栗橋線)の左岸橋詰(北側)には、
 菖蒲城跡があり、一帯はあやめ園として、整備されている。
 菖蒲城は室町時代の中頃に築かれたとされる城だが、
 現在、跡地には記念碑と内藤陣屋の門しかない。
 なお、菖蒲城跡には昭和20年(1945)建立の
 新堀耕地整理記念碑があり、碑文によれば大正6年(1917)
 に141ha、昭和17年(1942)に19haが整備されている。

   
ラベンダー堤とあじさい遊歩道
  (4)ラベンダー堤とあじさい遊歩道(上流から)
   菖蒲町新堀〜菖蒲町小林
   写真(3)から600m下流。附廻堀の左岸側、菖蒲町役場の
   南側一体は八束緑地と呼ばれ、広いグランドがあり、
   一面にラベンダー畑が広がっている。このラベンダーは
   埼玉県内の数多くのボランティアによって植えられたもの
   だという。ここはラベンダー祭りの会場でもある。
   附廻堀の左岸の、あじさい遊歩道(幅員2.5m)は、
   菖蒲城跡(あやめ園)からここまで続いている。
   梅雨時には、あじさいとラベンダーが同時に満開となる。

 小林調節池の付近
(5)小林調節池の付近(上流から) 菖蒲町小林
 写真(4)から300m下流。八束緑地からさらに南側、
 附廻堀と県道5号さいたま菖蒲線の間には、小林調節池が
 設けられている。野通川、附廻堀の流域の洪水量を
 調節するための施設である。ちなみに県道5号線の東側には
 見沼代用水が流れているが、その沿線には
萩の径
 呼ばれる遊歩道が整備されている。

   
附廻堀の終点
  (6)附廻堀の終点(上流から) 菖蒲町小林
   写真(5)から300m下流。附廻堀は正眼寺の脇で、野通川の
   左岸へ合流する。ここから150m上流では、附廻堀同じく
   農業排水路である三間堀が野通川の左岸へ合流している。
   附廻堀の川幅(天端幅)は最下流では、広い所は約8mあるが、
   合流地点では少し狭くなっている。

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