妻沼大橋の跡
|
←妻沼大橋の碑 刀水橋の右岸橋詰(妻沼町妻沼)にある。 写真の背後は利根川の右岸堤防。 妻沼大橋の架橋経緯を記した高さ2.4mの石碑である。 大正11年4月建立。題字は埼玉県知事、堀内秀太郎。 埼玉県議会と群馬県議会で審議を重ね、大正9年から 11年度の継続工事として認可され、大正10年9月起工、 大正11年4月竣工と記されている。 妻沼大橋は木の桁橋で、規模は幅2間3尺(約4.5m)、 長さ380間(約691m)。左岸(群馬県側)の36間(約65m)と 右岸(埼玉県側)の21間(約38m)は仮橋であり、 洪水時には取り外されたとも記されている。 |
←妻沼大橋の橋脚跡 左岸(群馬県太田市古戸)から撮影。 利根川の中に木製の橋脚が残る。 船舶の衝突を防ぐためだろうか、 橋脚にはオレンジ色のブイが取り付けられている。 妻沼大橋は国道407号線の旧道(現在は 県道341号線)へと繋がっていた。妻沼大橋の 右岸橋詰から南へ1Kmの地点は妻沼町の中心部(注)であり、 妻沼聖天堂の脇の交差点には、妻沼大橋の竣工と 同時期に妻沼町の道路元標が設置された。 移築はされているが、道路元標は今も残っている。 (注)妻沼町は中世には聖天堂の門前町として、 近世に利根川の水運が盛んになると、 河岸場(物資の集散地)として発展した。 |