古堤 (渡良瀬川の旧堤防)
所在地:稲荷木落の左岸、埼玉県北葛飾郡栗橋町松永
稲荷木落は渡良瀬川の故道(旧河道跡、近世以前の流路を指す)を流れている。
稲荷木落の左岸、栗橋町松永には古堤と呼ばれる旧堤防が、約700mに渡って残っている。
この堤防の断面はかなり大きいので、渡良瀬川の旧流路が形成した自然堤防の上へ、
盛土して築造したと思われる。築堤年代は不明だが、堤防の上が鎌倉古道として
使われていたとの伝承があることから、近世以前に築かれたと考えてよいだろう。
迅速測図(明治13年測量)によれば、往時の古堤は栗橋町伊坂(利根川橋の右岸)から
松永に向かって約2.5Kmにも及んでいるが、現在は伊坂地区の堤防は撤去され、
痕跡を確認するのは困難である。
古堤は武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の葛飾郡松永村(14巻、p.456)に、
”古堤:古利根川に沿ひ村の北方 伊坂村界より南方 佐間村界に至る
長四百五十二間 馬踏二間 敷十二間 修繕費用は民に属す”とある。
馬踏(天端幅)が約3.6m、堤敷(堤防敷の幅)が約21.6mもあり、規模は大きい。
前掲書には堤防高は記されていないが、現在残る堤防の高さは約3mである。
(1)松原神社の南側(旧左岸、上流から) 松原神社は栗橋町伊坂と松永の境界付近に鎮座する。 八坂神社などが合祀されているが、元来は星の宮神社と 呼ばれていた。この地点から北の古堤は今は 消滅している。 |
(2)古堤(旧左岸、上流から) (1)から南へ100mの地点。写真の右側が旧堤外である。 今は古利根川附という小字で呼ばれている。 古堤の天端幅は約4m、高さは約3m、 |
(3)堤防上に建つ社殿(旧左岸、下流から) 宝蔵院の西側付近。堤防天端には感覚稲荷など 数社の社殿が建てられている。 |
(4)旧堤防の上 栗橋町佐間の付近になると、堤防天端には雑木が 繁茂し、鎌倉古道を彷彿とさせる景観となる。 |
(5)生活道路で分断された箇所(堤外から)。 古堤には写真のように、堤防を貫いた通路が 数箇所に設けられている。これは堤外には 農地(畑と水田が半々)が存在するので、 堤内から堤外へ往来することが必要だったからだろう。 |