志手橋
場所:倉松川、埼玉県幸手市(さって)南一丁目〜中一丁目
形式:RC桁橋(1スパン)、全長 8.8m、幅 18m(歩測) 建設:昭和初期?
←志手橋(左岸上流から) 県道65号 岩槻幸手線が、国道4号線の旧道へ 合流する地点に架かる橋。ここは昔から交通の要衝であり、 歴史的には日光御成道と日光街道の追分に架かる橋と いうことになる。日光街道の幸手宿(江戸から6番目の宿場)への 入口である。志手橋付近は人の往来が多く、高札場も設けられていた。 志手橋は古くから存在する橋であり(補足)、 武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の 葛飾郡幸手宿(14巻、p.262)には、以下のように記されている。 ”陸羽街道に属し宿の南方 志手沼の中央に架す 長十七間巾三間 木製” 木製でありながら長さが30.6m、幅5.4mと大きな橋である。 なお、志手沼とは上郷大落の中流部の幅の広い区間を指す。 上郷大落は現在の大中落のことで、倉松川が 近代改修されるまでは、この付近は大中落であった。 |
←親柱と欄干 57cm角で高さは2.2mと高い。 コンクリートの打ち放しではなく、表面には 人造石で擬石風の化粧が施されている。 橋灯(頂部の0.3m)と銘板が 付けられていた形跡が残っている。 親柱の側面と下部には、レリーフ状の 突起が設けられ、デザイン上の 良いアクセントになっている。ている。 欄干(高さ1.05m)の開口部は遠目には 小判形に見えるが、実は長方形である。 長方形の四隅には段差を設けて、 小さなハンチが設けられている。 志手橋は道路拡幅に伴い、幅員が広げられて いるようだ。立派な親柱があるのに、橋詰に袖柱が 存在しないのは、道路の拡幅のさいに 撤去されてしまったからだろう。 なお、御成街道沿い(現.県道65号線)には 幸手町と上高野村の道路元標が設置されていた。 当初の場所から移築されているが、共に今も残っている。 |
(補足)幸手歴史物語 川と道(幸手市史編さん室/編、2002)のp.101には、
木橋だった頃の志手橋の写真(大正10年の撮影とある)が掲載されている。