川越電気鉄道の跡
所在地:埼玉県川越市古谷上(ふるやかみ)
形式:橋梁跡(桁橋、煉瓦橋台) 建設年:明治39年(1906)?
川越電気鉄道とは、明治時代後半から昭和初期にかけての約30年間、川越と大宮の間を
運行していた鉄道。前身である川越馬車鉄道(旧西武大宮線)は、明治35年(1902)5月に
綾部利右衛門(新河岸川の舟運業者)らの発起によって開業された。明治28年(1895)の
川越鉄道(現西武新宿線)に次ぐ、川越町で2番目の鉄道である。川越鉄道が地元以外の資本で
設立されたのに対して、川越馬車鉄道の設立時の役員構成は大半を川越町の商人が占めていた。
明治36年(1903)12月には、社名を川越電気鉄道と改称し、明治37年3月に電気鉄道としての
許可を得た。川越〜大宮間の開業は明治39年(1906)4月である。
川越電気鉄道は電気事業者でもあり、明治37年(1904)には埼玉県初の電灯を入間郡川越町に灯した。
後に大宮電灯を合併し、北足立郡大宮町にまで配電地域を拡げた。さらに秩父郡矢納村の
神流川に水力発電所を建設し、大正2年(1913)には武蔵水力電気を発足させた。
大正3年(1914)12月に、川越電気鉄道と武蔵水力電気は合併した。
川越電気鉄道は全長12.9kmの路線を所要時間50分で結び、一日に28往復していたという。
地元では[チンチン電車]などと呼ばれ親しまれていたそうだ。
だが昭和15年(1940)に、軍事上の重要路線として建設された川越線が開通すると、
川越電気鉄道はその影響をまともに受け、昭和16年には廃止に追い込まれてしまった。
参考文献:川越市史 第4巻 近代編、1978 大宮市史 第4巻 近代編、1982
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橋梁の跡(用水の下流から) 古谷保育園から西へ50mの地点、住宅地の中に残る。 川越電気鉄道の路線は、ほとんどが既存道路との 併用だった。この付近には黒須停留所があった。 川越電気鉄道はここから南東600mで、 荒川(旧流路、跡地は現在、古川)を渡っていた。 小さな排水路を跨ぐ橋梁だが、橋台は頑丈な煉瓦造りである。 スパン長はわずか1.3mだ(推定)。 川越電気鉄道で唯一残る貴重な遺構だが、悲しいことに、 現在はゴミ収集所と化している。 なお、川越電気鉄道が運行していた頃、この付近は 入間郡古谷村だった。大正時代に設置された、 古谷村の道路元標は今も残っている。 また、旧古谷村の村域には古い火の見櫓が非常に多く残っている。 |
↑川越町側の橋台 橋台の形状から明らかだが、この橋梁は斜橋だった。 橋桁を固定していたと思われるボルトが突き出ている。 使われている煉瓦は、赤煉瓦で平均実測寸法は 226mm×108mm×58mm。機械抜き成形の跡が確認できる。 |
↑大宮町側の橋台 こちら側は幅3.1m、高さ0.55mとかなり大きいので、 川越町側の橋台は大半が破損しているのだろう。 橋台はイギリス積みで組まれている。ここから400m北に 残る笹原門樋(1901年竣工)と同じ組み方である。 |
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