伝右川 (でんう) 甚左衛門堰枠の周辺
撮影地:草加市神明2丁目
伝右川は、延長約18Km、流域面積約21Km2の荒川水系の一級河川。
さいたま市緑区東大門三丁目を管理起点とし、綾瀬川の右岸に並行して、川口市、
草加市を流れ、最後は東京都足立区花畑八丁目で綾瀬川に合流する。.
寛永五年(1628)に、綾瀬川流域の沼沢地(膝子沼など)を干拓するさいの悪水落として、
伊奈忠治の家臣、井出伝右衛門によって開掘された(埼玉県史 通史編3、p.564)。
当初は伝右衛門堀と呼ばれていた。綾瀬川は慶長年間(1600年頃)に旧荒川(現在の元荒川)から
流路が切り離されていて、伝右川の開削の頃には流域では新田開発が盛んに行われていた。
↑伝右川(上流から) 中央が甚左衛門橋(煉瓦風)、奥が神明排水機場。 写真の左側が、札場河岸公園(ふだばかし)。 |
↑綾瀬川(札場河岸公園から) かつての綾瀬川は舟運が盛んで、この付近には 札場河岸(船着場)が設けられていた。札場河岸は 元禄年間(1690年頃)に新綾瀬川が掘削された時に 設けられたとされる。札場河岸公園は舟着き場の 石段を復元し、河岸の雰囲気を再現した親水公園である。 綾瀬川の両岸には、松並木が整備されている。 (千本松原を意識してか) |
↑展望楼 展望楼は札場河岸公園内の石垣の上に 建てられている。木造五角形で高さは10mくらいある。 手前の道路は49号(足立越谷線)、旧日光街道。 |
↑草加松原遊歩道 旧日光街道に沿って松並木が続く。 しばらく歩くと、超レトロな外観の矢立橋に辿り着く。 草加市は江戸時代、千住に次ぐ日光街道第2の宿、 草加宿であった。松尾芭蕉も[奥の細道]で立ち寄っている。 |