笠原堰の銘板
←施設名の銘板 右から、笠原堰 と刻まれている。 これは堰の渡り石(管理橋)だったと 思われる。 |
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←沿革略記と竣工年 管理橋に使われた石材の側面に残る。 上が、笠原堰沿革之略記(明治35年11月15日)、 下が、竣工年の銘板(明治三十五年一月竣功)。 沿革之略記(撰文は北埼玉郡長 田村省三)には、 煉瓦造りの堰の建設に至った経緯や 総工事費(県税補助金の要請等)、工事期間 (明治34年10月2日起工、35年1月15日竣功)も記されている。 なお、この反対側には関係各位の名を連ねた銘板が 取り付けられているが、それによると、 笠原堰の工事仕立人(請負人か?)は山本三太郎、 設計者は、埼玉県技手 野村 武。 竣工銘板に設計者の名前まで記されているのは、 埼玉県の煉瓦造り水門では珍しい。 設計者の野村 武は万年堰(宮代町、笠原堰と同年に建設)の 竣工記念碑に名を連ねる、野村 武(埼玉県技師と 記述されている)と同一人物であろう。 野村は笹原門樋(1901年、川越市)、 矢来門樋(1903年、東松山市)の設計も担当している。 |
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