杣殿樋管の銘板
←川表 銘板は川表にのみ設けられている。 面壁が低いので、設置スペースに 余裕がなく、結果的に銘板は戸当たり石の 上に載せられた形となっている。 したがって、銘板の存在感は希薄だ。 天端の煉瓦積みは、非常にシンプル。 煉瓦小口を縦に1段積んだだけで、 迫り出しもない。 |
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←銘板 明治卅六年四月竣功。 卅六年は、三十六年。 施設名は旧字の行書体である。 現代の表記だと、杣殿 となる。 杣とは漢字ではなく国字。 きこり、材木を採る山を意味する。 杣殿とはこの付近の旧字名で(注)、ソマドンと 発音することもあるという。行田市の周囲には、 吹上町に通殿(ヅウデン)、ソウトノや角戸(ツノト)という 地名が残っていて、そうとの橋もある。 また、大里町には通殿川(ヅウドノ)、 加須市岡古井には通殿社(神社)が存在する。 |
(注)武蔵国郡村誌の埼玉郡上之村(13巻、p.313)の字地に
向杣殿、杣殿の記述がある。持田村と戸出村に界するのが向杣殿、
向杣殿の北に位置し小敷田に界するのが杣殿である。
つまり、現在の忍川の左岸側が杣殿、右岸側が向杣殿である。
杣とは山林に関係するようだが、前掲書の埼玉郡持田村(13巻、p.345)には
杣殿の南東に菅谷林の存在が記されている。杉多く大樹なしとあり、
東西十二間(21.6m)、南北七間(12.6m)と規模は極めて小さい。
しかし往時には、忍川に沿った大規模な山林だったのかもしれない。
建築用木材の供給のために設けられた杣だった可能性もある。
一方で、ソマドノという音を別の漢字に当てはめると、損馬土野とも書ける。
行田市長野の旧忍川左岸には、地元の古老がソマラと呼ぶ一画がある。
長野、佐間、埼玉の境界に位置する、その地は民家が疎らで
(往時の)杣殿地区と、どことなく似たところもある。
長野のソマラは、かつては馬捨て場だった可能性が高く、
損馬原と表記したのかもしれない。ソマドノも馬捨て場だったのだろうか。
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