滝馬室橋 (たきまむろ) - 続・荒川の冠水橋

 所在地: 埼玉県鴻巣市(こうのす)滝馬室、荒川  - 周辺の風景 -
 
形式: 木製の桁橋(桁厚0.4m、鋼橋脚φ400mm)、全長約58m(歩測)、幅1.8m、9スパン

 滝馬室橋は、鴻巣市が管理する冠水橋(洪水になると水面下に隠れてしまい、通行不能になる橋。
 一般的には潜水橋、沈下橋とも呼ばれる)である。橋桁は、0.3m角・長さ
5mの木材3本を、
 
主桁として橋脚間に配置してあり、その上に、0.15m角・長さ1.8mの木材を、
 線路の枕木のように敷き詰めて橋面(床版)としている。
 現橋は洪水で流出してしまった旧橋の復旧として、昭和47年(1972)に架けられたもの。

 滝馬室橋は、台風15号による洪水(2001年9月)で、大破してしまいました。
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復旧工事中の滝馬室橋の様子(2002年5月)

 (注)本ページの画像は、CAMEDIA C-2000Z(211万画素)で撮影しました。

 滝馬室橋の全景

 ←滝馬室橋の全景(高水敷の右岸側上流から) (F5.6,35mm)
  下流左岸には排水路が合流するため、護岸と根固めが設けられている。
  赤い橋は、御成橋(全長約800m、18スパン、昭和40年竣工)。
  旧橋は冠水橋だったが、昭和40年の台風17号で流失してしまった。
  御成橋の体積(総工費も?)は、滝馬室橋の200倍もある。

  冠水橋だった御成橋は、荒川の近代改修(昭和初期に終了)後の
  新河道に架けられたが、それ以前の御成橋は旧荒川に架けられていた。
  明治37年(1904)に竣工した吊り橋(橋台は煉瓦、桁は木製)は、
  桁が腐朽したことが原因で、大正7年(1918)には落橋している
  (→埼玉県議会史 第3巻、1960、p.1034)。ただし、この記述は
  橋梁の形態から吊り橋と記した可能性が高く、構造形式が
  本当に吊り橋だったかは疑問である。明治大正期には、
  下路アーチ橋(の形態の橋)を釣り橋と称することが多かった。
  御成橋の右岸橋詰(堤外)にある稲荷神社には、
  
明治37年竣工の橋の親柱4本と煉瓦が保存されている。

               左岸側上流から (F5.0,70mm)→

    滝馬室橋は、写真の状態から水位が6m上昇すると
    冠水する。1年に数回、台風の時期になると冠水し、
    通行止めになるそうだ。
    荒川の低水路は幅が広く、掘り込みが深い。 
    そのため、安直に橋を架けると、滝馬室橋のような
    奇妙な形態の橋が出現することになる。
    滝馬室橋は冠水橋としては桁位置が高い。
    桁長の割に橋脚が細長いのは、流水抵抗を
    軽減するためだろうか?(橋脚数は多いけど)。
    ともかく、非常に不安定な感じを受ける。
    橋脚が水面から桁下1m位まで茶色になっているのは、
    (増水による土石によって)青い塗装が剥げたため。   

滝馬室橋 左岸側上流から
 滝馬室橋 高水敷の左岸側上流から  ←滝馬室橋
  高水敷の左岸側上流から (F4.5,40mm)

  高欄(欄干)は、鉄柱と鋼製ワイヤーで作られている。
  (鉄柱:φ6cm、高さ1.1m)
  荒川が増水し、滝馬室橋が冠水すると、欄干には
  様々な漂流物が付着し、水の流れをせき止めてしまう。
  そこで洪水になると、鴻巣市の職員が駆けつけて来て、
  一時的に橋から欄干を取り外すそうである。

  路面・床板は木の板を並べてあるだけで、舗装されていない。
  橋の幅は軽自動車が、やっと通れる位である。
  でも、10分に1台の割合で車(普通車!)が通行していた。
  付近には車幅や重量の制限標識は見当たらないが、
  下流の原馬室橋(車幅制限2.1m、重量制限2t。)よりも、
  制限はきつそうだ。

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