埼玉大橋

 場所:利根川、左岸:埼玉県北埼玉郡北川辺町麦倉、右岸:埼玉県北埼玉郡大利根町佐波(ざわ)
 形式:ラーメン橋(10スパン) 長さ1135m 県道46号加須-北川辺線の道路橋  建設:昭和47年(1972) 

 埼玉大橋  ←埼玉大橋(右岸上流から)
 埼玉大橋で結ばれた利根川の両岸は、埼玉県である。
 利根川の南にあった旧・川辺領(北川辺町と大利根町)は、
 江戸時代以降の利根川の改修によって、川を挟んで
 南北に2分されてしまった。この橋が完成するまで、
 大利根町と北川辺町の往来は渡し(渡船)に頼っていたと
 いうから驚きだ。ここから2Km下流の新川通(大利根町)〜
 前谷(北川辺町)では県営渡船が運行していたが、
 埼玉大橋の開通によって、渡しは幕を閉じた。
 大利根町には、
渡船解散記念碑が残っている(注)

 埼玉大橋付近では、利根川の流路は一直線である。
 この区間は江戸時代初頭に新たに開削されたもので、
 かつては新川と呼ばれた。北側を蛇行して流れていた、
 合の川(北利根)の捷水路(直線化した水路)である。
 北川辺町には
合の川の跡が残っている。また、埼玉大橋から
 上流へ1Kmの加須市外野には旧・川辺領分断のきっかけとなった、
 浅間川(東利根)の締切跡に
利根川旧堰堤跡の碑が設けられている。

 橋の構造
 ←橋の構造
 橋脚と桁が一体成形されたラーメン橋(T字型)。
 T字型同志は、ヒンジ結合(写真の右端)に
 なっているように見える。
 ただし、片持ち梁(ゲルバー)ではないようだ。
 橋長は1Kmを超えるが、左右岸のアプローチが長いため、
 実際に利根川を跨ぐ部分の長さは約760mである。
 アプローチ橋は4主桁の鋼桁橋。

 埼玉大橋は、アーチ状の細いPC桁が連なる軽快な印象の橋。
 ただし、橋面はフラットではなく利根川の中心に向かって、
 太鼓橋状にかなり勾配がついているので、
 歩行者や自転車にとっては、軽快ではない。
 しかも歩道は自転車の通行を拒むかのように、
 幅員1.0mと信じられないほどに狭い。冬にからっ風が
 吹いたら、自転車で渡るのは非常に危険である。

 埼玉大橋のアプローチ橋
 ↑埼玉大橋のアプローチ橋(右岸から)

   埼玉大橋
  ↑埼玉大橋(左岸から)

(注)新川の渡しは、昭和32年(1957)まで新川渡船組合(民間)が運営していた。
 渡しは昭和32年からは県営に移行し、船もそれまでの手こぎから
 発動機(エンジン)付きへと変更された。大利根町に残る渡船解散記念碑は、
 新川渡船組合の解散を記念したもの。新川の県営渡船は埼玉大橋が
 完成する昭和47年まで続いた。なお、埼玉大橋から1.5Km上流にも
 県営渡船場があり、大越(加須市)と飯積(北川辺町)を結んでいた。
 ここも江戸時代初頭から存在する古い渡し場であり、飯積地区の利根川堤防上には、
 渡船の安全を祈願したと思われる、
水神宮(文化15年)が祀られている。

 なお、新川の渡しと大越の渡しの付近には、それぞれ佐波河岸と大越河岸があった。
 河岸とは舟を使い荷物の積み下ろしをする場所であり、陸路よりも
 一度に大量の荷物が搬送できた。加須市中樋遣川には、文化五年(1808)に
 建てられた馬頭観音があるが、それは
道標(道しるべ)を兼ねていて、
 さ王可し(佐波河岸)と大ごい可し(大越河岸)への案内が刻まれている。


戻る:[橋の一覧]  利根川の橋:[上流へ][下流へ]  [この付近の利根川