利根川 (坂東大橋〜上武大橋の周辺) [利根川のページ一覧]
左岸:群馬県伊勢崎市、右岸:埼玉県本庄市、左右岸:群馬県佐波郡境町
![]() ↑利根川と烏川の合流付近(坂東大橋から) 伊勢崎市八斗島町(やったじま) 左が烏川、右が利根川のはずなのだが、乱流が激しいので、 澪筋はよくわからない。近世以前は烏川が上野国と武蔵国の 国境だった。なお、本庄市山王堂は上野国に属していたが、 寛永年間(1630年頃)の洪水によって利根川の流路が 変化したために、武蔵国に編入となったのだという。 本庄市の市域に道祖神が多いのは上野国の影響だろう。 |
![]() ↑坂東大橋(右岸下流から) 本庄市山王堂 新しく建設中の坂東大橋(写真右)の下は、釣り人が多い。 坂東大橋の右岸上流には御陣馬川が合流している。 合流地点は霞堤となっている。この付近には明治初期まで 山王堂河岸があり、水運が盛んだった。坂東大橋の 右岸橋詰にある日枝神社(山王さま)には、水神社と 船乗り達の信仰を集めた大杉神社が合祀されている。 なお、日枝神社の境内に祀られた庚申塔群は圧巻である。 |
![]() ↑利根川の河川敷(右岸上流から) 本庄市久々宇(くぐう) 河川敷の中を備前渠用水の堤外水路(写真左)が流れる。 右上が備前渠樋門。一級河川、備前渠川の起点である。 久々宇には備前渠川の右岸に、第一区土木監督署と 刻まれた古い水準点が残っている。明治時代の利根川 改修のさいに内務省が設置したものだろう。 |
![]() ↑モーターパラグライダー 本庄市仁手(にって) 坂東大橋の下流右岸には広大な河川敷が広がる。 高圧鉄塔がないためか、パラグライダーが盛んである。 なお本庄市の上仁手地区は、利根川の左岸にあり、 民家も存在する。 |
![]() ↑島村の渡し(佐波郡境町) 坂東大橋と上武大橋の中間の付近は、利根川を挟んで 左右岸ともに群馬県である。利根川が激しく乱流していた 頃の痕跡ともいえる。分断されてしまった両岸を結ぶために、 現在でも渡船(島村の渡し)が運行されている(注)。 |
![]() ↑利根川旧堤跡之碑 (深谷市下手計) |
上武大橋から県道14号 伊勢崎深谷線を 400m南下した地点、 ガソリンスタンドの西側に 建てられている。 昭和七年(1932)七月建立。 八基村 昭和耕地整理組合 下手計区 左 横瀬 宮戸道 深谷市中瀬、横瀬地区から 本庄市宮戸地区付近まで、 延びていた利根川の旧右岸堤防の 跡地に立つ。旧堤防は現在の 堤防から南へ600m位離れた地点に あったが、連続堤防ではなく、 旧八基村の水除堤(村囲堤)であった。 利根川の近代改修で新堤防が 築かれた後も旧堤防は 残っていたが、昭和七年の 耕地整理によって撤去された。 |
(注)島村地区は地区の中央を利根川が流れ、左岸と右岸に分断されている。
この地区は古くから養蚕が盛んであり、明治時代には養蚕農家は組合を組織し、
生産された蚕卵紙は外国へ輸出されていた。右岸側には島村教会があるが、
このキリスト教の教会は、明治30年(1897)の創設だという。
なお、このページの区間には、かつては島村の渡し以外にも、
少なくとも3箇所に渡しが存在した。
武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)によれば、
児玉郡山王堂村(8巻、p.30) これが坂東大橋の前身である。
”利根川渡:伊勢崎道に属す 村の北方 利根川の上流にあり 渡船二艘 私渡”
児玉郡上仁手村(8巻、p.13)
”作場渡:村道に属す 村の申の方四町 利根川の上流にあり 渡船二艘 私渡”
児玉郡下仁手村(8巻、p.16)
”作場渡:村道に属す 村の丑の方 利根川の下流にあり 渡船一艘 私渡”
作場渡とは、対岸にある農地へ耕作へ出かけるための渡船である。
今でも本庄市上仁手は、利根川の左岸(群馬県側)に位置する。