丸墓山古墳の周辺

 南側から見た丸墓山古墳
 南側から見た丸墓山古墳
 古墳へ続く小道は
石田堤の跡。写真の左端は、
 史跡 埼玉村古墳群の標石(昭和13年建立)。
 丸墓山古墳の脇には、昭和14年建立の
 埼玉村古墳群の碑もある(柴田常恵撰、稲村坦元書)。
   丸墓山古墳の東側の風景
   丸墓山古墳の東側の風景 (山頂から)
   眼下に広がる大芝生広場は、さきたま火祭りの会場でもある。
   広場は100mを超える巨大古墳4基に囲まれている。
   広場の西側には丸墓山古墳、東側に将軍山古墳、
   北側に稲荷山古墳、南側に二子山古墳が位置する。
   大芝生広場に見える丸い植え込みは円墳の跡。
   奥に見えるのは将軍山古墳。

 ズラリと並んだ石仏
 ズラリと並んだ石仏 (丸墓山古墳の西側)
 丸墓山古墳の山頂にあったものを、ここに移築したようで
 ある。全部で7基あり、手前は延宝元年(1673年)建立、
 岸海上人とある。隣りは寛文七年(1667)の庚申塔
 (三猿の像:見ざる、聞かざる、云わざる、二鶏)。
 庚申塔としては古い部類だ。この周辺地域には、
 寛文年間建立の
古い庚申塔が数多く分布している。

   旧忍川に架かる木の橋
   旧忍川に架かる橋(丸墓山古墳の北側)
   写真の中央が旧忍川。岸辺にはヤナギの木が自生している。
   左端に白く見えるのが
木の橋(長さ18m、幅1.9m、歩行者専用)。
   この橋の下流には、約1Km先の共栄橋まで橋は架かっていない。
   丸墓山古墳と木の橋の間の木立の中には、←の石仏群、
   写真の左側(行田市長野万願)には、天神様を祀った社がある。

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