江川 (えがわ) (その1) (その2

 撮影地:埼玉県北本市、桶川市、上尾市

 江川は延長約5Km、流域面積約17Km2の荒川水系の一級河川(平成6年施行)。
 桶川西中学校の付近が管理起点となっている。源流部は鴻巣市と北本市の境界付近に
 あり(管理起点から約4Km上流)、そこからほぼ南へ向かって流れ、県道12号川越栗橋線を
 横断してからは桶川市と上尾市の行政界に沿って流れ、最後は上尾市領家で
 宮下樋管を経由して荒川の左岸へ合流する。

 もともとは農業用水路(用排水兼用)だったが、上流部(北本市の区間)は市街地を流れるので、
 現在は完全に都市排水路に変貌している。名称も江川ではなく勝林雨水幹線となっていて、
 JR高崎線と県道57号さいたま鴻巣線に挟まれた地区の排水路である。
 もっとも、勝林雨水幹線と命名される前から、江川ではなく宮川と呼ばれていたようだ。
 一方、下流部(桶川市から上尾市の区間)は谷地(谷津、台地の開析谷)を流れていて、
 両岸には広大な農地と雑木林があり、自然河川(というより農業用排水路)の形態が残っている。
 流域には台地との比高差は小さいが谷底が広い、幅500m以上の谷が形成されていて、
 両岸には樹枝状の狭い支谷も見られる。谷の開口部が荒川への合流地点となる。

 江川は川幅が狭く河床勾配が緩いので、洪水流下能力が不足しているうえに、
 周辺の都市化(特に上流部)が進行している。そのため、以前に比べ流域の遊水機能が著しく
 低下していて、低地部では浸水被害が顕著だという。にもかかわらず下流部では沿線に
 建設会社の資材置場が多く、湿地と思われる箇所が建設残土で埋め立てられているのが目に付く。
 湿地には絶滅危惧種の動植物群(サクラソウなど)が棲息するそうなので残念である。

  桶川市下日出谷地区の高井遺跡(桶川西小学校の周辺)は、縄文時代(約4000〜4500年前)の
 遺跡である。なお、江川下流域の舌状台地(桶川市川田谷)には、弥生時代後期の遺跡や
 住居跡も数多く分布しているそうである。また、川田谷の樋詰地区にある熊野神社古墳は
 埼玉県でも最古の部類(5世紀初頭に築造)の古墳だという。
 これらは江川の流域に古代から人々が定住し、生産活動を営んできた証しである。

 
(1)江川の源流部(下流から) 北本市高尾
 北本西小学校から北西へ100mの地点。付近には
 高尾チサン団地がある。この付近では江川ではなく、
 勝林雨水1号幹線。暗渠の出口でがっかりするが、
 ここが江川の水の流れが見える最上流点。700m北は
 鴻巣市原馬室だ。この暗渠はおそらく原馬室地区から
 続いているのだろう。原馬室地区の
石田川(都市排水路、
 荒川へ放流)との分水界が江川だと思われる。
 ここから50m下流の右岸、150m下流の左岸へ
 小排水路が合流している。

   栄小学校の付近
  (2)栄小学校の付近 (下流から) 北本市下石戸上
   (1)から1.1Km下流。水路幅4.6m、深さは約3mと掘り込みは
   深い。護岸は張りブロック、両岸には高いフェンスが巡らされて
   いて味気ない。栄小学校から200m上流の右岸には高尾地区から
   流れて来る排水路が合流している。宅地化が進行する前の
   昭和30年頃まで、江川(勝林雨水1号幹線)は農業排水路であり、
   この付近は畑地と山林だったというから凄い急変ぶりだ。
   今は氷川神社の付近に平地林がわずかに残るのみだ。
   林が伐採され保水機能が低下したことへの対策だろうか、沿線には、
   ごく小さな遊水地(周囲長が20m位)が数多く設けられている。   

 北本学習センターの付近
(3)北本学習センターの付近 (下流から)
 北本市石戸七丁目
 写真(2)から800m下流。南側(写真の手前)の県道33号
 東松山桶川線が北本市と桶川市の境界となっている。
 学習センターの付近では江川の川幅は約200mに渡り、
 かなり広くなっている。左岸には遊水地が設けられ、
 学習センターは遊水地内にピロティ(高床)方式で
 建てられている。淡いピンクとブルーの配色がオシャレだ。
 左岸に祀られた琴平社は金刀比羅であり、水の神様だ。

   
県道33号線の南側
  (4)県道33号線の南側 (下流から)
   右岸:桶川市川田谷、左岸:桶川市上日出谷
   写真(3)から400m下流。写真の奥はグリーンハイツ北本。
   両岸の地名に谷が含まれていることから明らかなように、
   この付近の地形は谷地(台地の侵食谷)。
   県道33号東松山桶川線の北側(北本市)では、
   江川の左岸には、勝林雨水3号幹線(大きめの排水路)が
   合流しているのだが、江川は桶川市に入ると、なぜか
   通水断面が小さくなってしまう(幅2.5m、深さ2.8m)。

 一級河川の管理起点の付近
(5)一級河川の管理起点の付近 (上流から)
 左岸:桶川市上日出谷、右岸:川田谷
 写真(4)から700m下流、桶川西中学校から北東へ
 200mの地点。中学校の北側を通る松山道の付近が
 一級河川の管理起点だが、標石は見つからなかった。
 ただし、数箇所に水位観測計が設けられている。
 この付近から江川は都市排水路から農業排水路へと
 様相を変える。後背湿地には広大な水田が展開する。
 ただし、江川から取水しているのではなく、深井戸や
 揚水機場が目立つので、地下水でかんがいする陸田だと
 思われる。写真の両岸に見えるのは農業排水用の樋門。
 なお、この付近の谷地では、摘み田(つみだ)と呼ばれる
 田植えをしない湛水直播農法が近年まで行われていた。

   
密厳院の付近
  (6)密厳院の付近 (右岸から)
   右岸:桶川市川田谷、左岸:上尾市藤波二丁目
   写真(5)から1.6Km下流。左岸から小さな排水路が合流する。
   排水路に沿って樹枝状の支谷が形成されていて、江川は
   谷地を刻むように流れている。支谷は江川の左岸側に多く
   形成されている。谷の縁部には雑木林(斜面林)も見られる。
   江川の右岸1Kmには江川に並行して、幅の狭い侵食谷があり、
   そこには石川堀が流れている。左岸200mに位置する密厳院には
   享保十年(1725)建立の
石橋供養佛がある。おそらく江川に
   架けられていた石橋に関するものだろう。73人もの女性が
   周辺の村々から寄付を集めて建立した供養仏(地蔵)だ。
   またここから西へ900mの城山公園の付近には、旧北足立郡
   
川田谷村の役場と道路元標(昭和6年設置)が今も残っている。

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