槻川 (起点からヤマメの里公園まで) [槻川のページ一覧]
撮影地:埼玉県秩父郡東秩父村
槻川(つきかわ)は延長25Km、流域面積86Km2の荒川水系の一級河川。
秩父郡東秩父村白石の堂平山(標高876m)付近を源流とし、東秩父村、比企郡小川町、
玉川村を流れ、その間に丘陵地の沢の水を集め、最後は比企郡嵐山町鎌形で都幾川に合流する。
河床勾配は急で頻繁に蛇行を繰り返して流れている。総延長は本川である都幾川(注1)と大差なく、
都幾川の支流では最も長い。槻川には沢や渓流などが数多く合流している。
主な支川には栗和田川(準用河川)、大内沢川(準用河川)、萩平川(準用河川)、
館川(一級河川)、兜川(一級河川)がある。
槻川の中流域では、東秩父村から小川町にかけて手漉き和紙(細川紙)の生産が盛んだった。
この伝統産業を支えたのは、槻川の清流である。また、槻川は古くから農業用水の水源としても
利用されてきたので、数箇所に取水堰(形式は固定堰)が設けられている。
かつては製粉のために随所に水車も設けられていたが、今は現存しない。
なお、小川町の町域では槻川(及び館川)の水は青山浄水場で取水され、水道水としても使われている。
![]() (1)白石キャンプ場の付近(上流から) 東秩父村白石 写真の中央は砂防堰堤。上流側は河川改修がなされ、 川幅が広くなっているが、本来の流れは砂防堰堤の 下流側のように細く深い。槻川はここから白石林道に 沿って1Km以上も続く。槻川の源流は白石峠付近にある。 白石峠の付近は分水界であり、定峰川、都幾川などの 源流地となっている。 |
![]() (2)一級河川の管理起点(右岸下流から) 東秩父村白石(しろいし) 写真(1)から300m下流。県道11号線(注2)の萩殿橋の 下流に、槻川の一級河川の管理起点が設置されている。 不思議なことに、管理起点の標石は左右両岸に計2箇所ある。 管理起点の周辺では槻川には、あまり人工の手は加わっていない。 武蔵国郡村誌の秩父郡白石村(7巻、p.52)には、”深処五尺 浅処六寸巾十二間乃至三間急流澄清”とあるが、そのままだ。 |
![]() (3)白萩橋の付近(下流から) 東秩父村白石 写真(2)から300m下流、白石バス停の付近。槻川の川幅は 狭いが随所で小さな沢(土石流危険渓流)が合流している。 白石地区には、白石の神送りと呼ばれる行事(注3)が今も 継承されている。バス停の脇には火の見櫓が立っている。 東秩父村には今も古い火の見櫓が数多く残っている。 |
![]() (4)槻川橋の上(左岸上流から) 東秩父村皆谷(かいや) 写真(3)から1Km下流。槻川が大きく蛇行した地点に架かるのが 槻川橋。昭和38年(1963)竣工だが、それ以前は不動橋と 称していたようである。バス停に名が残っている。あるいは 上流100mの右岸へ合流している沢が不動沢というのかも。 なお、槻川の右岸にある西小学校の白石分校は休校中である。 |
![]() (5)砂防堰堤(右岸下流から) 東秩父村皆谷 写真(4)から600m下流。かなり大規模な砂防堰堤が 設けられている。普段は槻川の水量は極めて少ないのが、 大雨になると、急激に増水するだけでなく、周辺の沢から 土石の流入量が多いのだろう。左岸下流のフリーフレーム 方式の土留め工はかなり老朽化し、歪んでいる。 左岸の岸辺付近では、ミカン(ユズかな)の林が随所で 見られるが、それらは自生しているのだろうか。 |
![]() (6)ヤマメの里公園の付近(下流から) 東秩父村皆谷 写真(5)から600m下流、朝日根橋の上から撮影。 皆谷地区の民家は、主に右岸の山の中腹に点在している。 右岸には大霧山(標高767m)の麓に、秩父高原牧場がある。 ここから300m下流の左岸に鎮座する天児安神社(あまのこやす)は、 皆谷村の村社。天児安彦命を祀っているので、春日神社の 系統だろう。東秩父村には八幡神社と熊野神社が多いので珍しい。 ここから900m下流の左岸へ栗和田川(準用河川)が合流する。 |
(注1)都幾川と槻川は水源がほぼ同じなうえに、名称(発音)もよく似ている。
新編武蔵風土記稿の秩父郡総説(12巻、p.75)によれば、江戸時代には
槻川を都幾川と表記することもあったという。確かに都幾は[つき]と読める。
槻川は水源が山谷の槻の木の下から湧出するので、その名が付いたとある。
(注2)県道11号熊谷小川秩父線(新秩父往還)は文字通り、熊谷市から
嵐山町、小川町、東秩父村を経て新定峰峠を越え、秩父市へ通じる。
延長が約48Kmあり、埼玉県で最も長い県道である。
路線は小川町から東秩父村にかけては、ほぼ槻川に沿っている。
萩殿橋で槻川とは別れを告げ、路線は西へ向かう。
(注3)白石の神送りとは、厄病や悪疫を退散させ、かつ村へ
侵入するのを防ぐための行事であり、毎年5月の上旬に行われる。
村人が神輿を担いで行進し、村から厄病を追い払う。
本庄児玉地域では、ドウソジンと呼ばれる神送りと似た行事が残っている。
フセギ(塞ぎ)を目的とし、村境の路傍に道祖神や庚申塔などの
石塔(一種の結界)を建てることは、どの地区でも顕著だ。