旧御成橋の遺構

 所在地:埼玉県鴻巣市馬室〜比企郡吉見町丸貫、稲荷神社、旧荒川右岸

 旧御成橋の遺構  旧御成橋の遺構
 御成橋(荒川)の右岸橋詰(堤外)にある稲荷神社には、
 旧御成橋(明治37年竣工)の遺構が保存されている。
 稲荷神社は県道27号東松山鴻巣線の御成河岸バス停の
 北側、旧荒川の右岸に位置する小さな社である。
 旧御成橋は旧荒川に架けられていたというから、
 稲荷神社から東へ50m離れた辺りが架橋地点である。

 残された遺構は石造りの親柱が4本と橋台に使われていた煉瓦。
 煉瓦は
機械成形による赤煉瓦で、平均実測寸法は222×105×57mm。
 親柱は高さ1.35m、幅0.33mの角柱で、頂部がわずかに
 錐状になっている以外、これといった意匠はない。
 柱の側面には欄干をはめ込んでいた溝がある。
 橋名と竣工年が記されている他、請負人 石川三重郎、
 世話人 丹波某が記されている。
 また、橋名が刻まれた柱の側面には、島崎孝彦とある。
 おそらく御成橋の設計者であろう。当時、島崎は埼玉県の技師であり、
 明治41年には県土木課長に就任している。
瓦葺掛樋(明治41年竣工、
 見沼代用水〜綾瀬川、蓮田市〜上尾市)を設計したのも島崎である。
 百番供養塔  ←百番供養塔
 旧御成橋の遺構から
 西側へ50mの地点にある。
 寛政八年(1796)正月建立。
 坂東西国秩父の巡礼供養塔であるが、
 道標を兼ねていて、
 正面に北下砂村御成橋 願主2名(苗字なし)、
 かうのす いわつき道
 左面に松山道、右面に吉見秩父道とある。
 この辺は北下砂の飛び地なのだろうか。

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