間瀬堰堤管理橋
場所:間瀬川、埼玉県児玉郡児玉町小平(注)
形式:コンクリート桁橋(左岸のみ) 全長
126m、幅員 3.6m 建設:昭和12年(1937)3月
間瀬堰堤とは、小山川の支川である間瀬川を堰き止めて造られた農業用のコンクリート重力式ダム。
児玉用水(計画かんがい面積700ha)の水源として、昭和5年から昭和12年にかけて、
埼玉県による直轄工事で建設された。
追補:間瀬堰堤は、土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
↑間瀬堰堤管理橋(右岸から) 右岸の橋詰は県道287号線に面している。上下流の 親柱にはそれぞれ金属製の銘板が嵌め込まれていて、 上流側には昭和拾二年三月竣工、 下流側には児玉用水 間瀬堰堤と記されている。 県道脇の崖下には児玉用水竣工之碑(昭和23年建立)が 立つ。児玉用水の建設工事と同時期には小山川の 河川改修が実施されていて、支川の小平川や秋山川も 改修工事が進められていた。秋山川は間瀬川と同じく 十二天池(農業用のため池)を水源とする。 |
↑取水塔の竣工銘板 堰堤の中央の取水塔(写真の左端)の下部には、2箇所に 金属製の竣工銘板(堰堤概要と設計及び監督者)が 嵌め込まれている。それによると、工事関係者は 耕地課長 地方技師兼地方農林技師 前川純三、 主任技師 地方農林技師兼土木技師 高堀育三、 児玉用水改良事務所長 埼玉縣農林技手 松原秀彦、 現場主任 埼玉縣農林技手 山口唯義、 現場監督 技手補 金田清信。おそらく、間瀬堰堤の 設計者は高堀育三だろう。 |
↑間瀬堰堤管理橋(左岸から) 左岸側は堰堤の越流部(余水吐)の上に架かるので、橋の 形式は桁橋となっている。親柱は最大幅89cmの角柱で、 上部へ向かって少しずつ段差が付けられ、頂部には 笠石風の庇が施されている。親柱の高さは230cmもある。 橋詰にはコンクリート製の柵(高さ80cm)があるが、 柱が現存するのみで、手すりの鋼管は撤去されている。 戦時中に供出されたのだろうか。 |
↑欄干 欄干の高さは1.25m、この当時の橋としてはかなり高い。 間瀬堰堤の堤高は30m近いので、安全性を考慮したのだろうか。 欄干には化粧が施され、頂部は面取りされている。 欄干の開口部は半円と中柱が連続するパターンであり、 半円3箇所毎(橋詰は2箇所毎)に、中柱がセットとなっている。 半円は直径1.0m、内部には擬木調の柱が5本。 中柱の側面にも幾何学的な開口部が設けられている。 |
(注)間瀬堰堤が建設された当時、この付近は児玉郡秋平村(あきひら)であった。
秋平村は昭和29年に児玉町、本泉村、金谷村と合併して消滅してしまったが、
秋平村の道路元標は今も残っている。
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