道路元標 (児玉郡)_ | (北埼玉郡) | (南埼玉郡) | (北葛飾郡) | (北足立郡) | (大里郡) | (深谷市) | (熊谷市) | (比企郡) | (入間郡) | (秩父郡) |
本庄市の市域に設置された道路元標で見つかっていないのは、
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
本庄町 | 字本町4061 | 旧中山道、[本町]交差点? | |
北泉村 | 北堀字西浦1871 | 県道31号、[北泉小学校]交差点 | 道路は拡幅、北泉村青年団の道標が現存 |
藤田村 | 牧西字宿地557 | 旧中山道、八幡大神社東のT字路 | 小学校の東に旧村役場が現存 |
(補足)本庄市の市域には利根川沿いに、几号の付けられた古い仕様の水準点(埼玉縣)が
2基現存している。それらは道路元標と同様に希少な存在である。
↑仁手村道路元標 本庄市久々宇(くぐう) 坂東大橋(利根川)から南東へ1.4Kmの 地点にある稲荷神社の境内。本来は 神社の北側の五叉路に設置されていたと 思われる。25cm角、地上高64cm。 児玉郡仁手村(にって)は仁手村、 上仁手村、下仁手村、久々宇村、 田中村が合併して明治22年に誕生。 昭和29年には本庄町などと合併して 本庄市となった。 |
↑旭村道路元標 本庄市沼和田800付近 坂東大橋(利根川)の南橋詰から南へ 700m、国道462号線の旧道にある。 沼和田交番の南西、理容ネギシ脇の 交差点内。脇には大正9年に旭村青年団が 建てた道標がある。25.5cm角、地上高57cm。 児玉郡旭村は都島村、小島村、沼和田村、 山王堂村、新井村、杉山村、下野堂村が 合併して明治22年に誕生。昭和29年には 本庄町などと合併して本庄市となった。 |
児玉町の町域に設置された道路元標で見つかっていないのは、
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
児玉町 | 児玉字連雀町52 | 国道254号と国道462号の仲町交差点付近 | 町役場は交差点の北、南にバス停[連雀町] |
共和村 | 蛭川字東廓165 | 国道462号と県道352号、蛭川交差点? | 付近に役場跡、公民館に火の見櫓 |
↑金屋村道路元標 児玉郡児玉町金屋 国道462号線、金屋小学校の南側、 金屋小学校入口交差点と金屋駐在所の 間の路肩にある。元標の正面は国道に 向いている。25cm角、地上高13cm。 舗装等で50cmも路面が高くなっている。 児玉郡金谷村は金屋村、長沖村、高柳村、 飯倉村、塩谷村、宮内村が合併して 明治22年に誕生。昭和30年には児玉町、 本泉村、秋平村と合併し児玉郡児玉町と なった。なお、旧金屋村は戦国時代には 金属製造の中心地として名を馳せた。 |
↑秋平村道路元標 児玉郡児玉町秋山 県道287号線、寄居印刷紙器(株)の 東側の交差点から、北へ向かった 三叉路にある。脇には大正年間に 秋平村青年会が建てた道標あり。 住所は秋山2778。25cm角、地上高59cm。 那珂郡(なか)秋平村(あきひら)は秋山村、 小平村が合併して明治22年に誕生。 那珂郡は明治29年に児玉郡へ編入された。 昭和29年に児玉町、本泉村、金屋村と 合併して児玉郡児玉町となった。 村域は小山川の右岸側だった。 |
↑本泉村道路元標 児玉郡児玉町河内(こうち) 県道44号秩父児玉線の旧道、本泉小学校 (もといづみ)の西側にある。現在は小学校 だが以前は中学校だったそうだ。ここは 本泉村役場と駐在所の跡地。元標の 対面に建つ河内生活改善センターは 診療所の跡地だそうだ。 道路元標は25cm角、地上高24cm。 児玉郡本泉村は河内村、太駄村、元田村、 稲沢村が合併して明治22年に誕生。 昭和29年には児玉町、金屋村、秋平村と 合併して児玉郡児玉町となった。 |
児玉町の里程標(りてい) 児玉郡児玉町新町 現在は実相寺の境内に設置されているが、 おそらく仲町交差点(国道254号線と国道462号線)の 付近から移築されたのだろう。 この里程標が抜かれた跡地に 児玉町の道路元標が設置された可能性が高い。 花崗岩製の24cm×24.5cmの角柱、 地上高は約280cm。刻字は4面。 大正四年六月に埼玉縣が設置。 下部に児玉町と刻まれ、 距浦和町元標十七里三十五丁十八間一尺、 本荘町、大宮町、下吉田村、小鹿野町までの 距離が里丁間尺で記されている。 武蔵国郡村誌の児玉郡児玉町(8巻、p.124)に よると、明治9年の時点で児玉町には、道路の元標が 設置されていて(おそらく里程標だろう)、 ”町の西方 路傍 官有地にあり”と記録されている。 近くには掲示場があったようだ。 |
美里町の町域に設置された道路元標で見つかっていないのは、
町村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
松久村 | 駒衣字上ノ原42 | 国道254号、駒衣(西)交差点付近 | 松久村の青年団が設置した道標が数箇所に残っている |
大沢村 | 設置記録が残っていない |
←東児玉村道路元標 児玉郡美里町根木 東児玉公民館の西側、 県道75号熊谷児玉線に面した場所にある。 元標面は道路に面していない。 25cm角、地上高64cm。 児玉郡東児玉村は阿那志村、根木村、 沼上村、関村、下児玉村、南十条村、 北十条村、小茂田村が合併して 明治22年に誕生。 昭和29年には松久村、大沢村と 合併して児玉郡美里村となった。 |
上里町の町域に設置された道路元標で見つかっていないのは、
村名 | 設置場所 | 現在の住所 | 備考 |
長幡村 | 長濱字藤木戸前11 | 県道23号信州街道、長幡小学校入口付近? | 長浜中旺会が設置した道標が現存 |
↑賀美村道路元標 児玉郡上里町金久保 賀美小学校(かみ)の敷地内。校庭の 北西隅、プールの脇にある。25cm角、 地上高65cm。賀美小学校の正門は 賀美村解村の日に建てられたもので、 裏にその旨が記されている。 賀美郡(かみ)賀美村は金久保村、 勅使河原村、黛村、毘沙吐村が合併して 明治22年に誕生。明治29年に児玉郡 賀美村となり、昭和29年に4村が合併して 児玉郡上里村が誕生した。 |
↑神保原村道路元標 上里町神保原町 旧中山道の神保原駅(じんぼはら) 入口のT字路内。日野岩酒店の北側に ある。25cm角、地上高40cm。 元標は折れている(写真手前が基部)。 賀美郡神保原村は石神村、忍保村、 八町河原村が合併して明治22年に誕生。 明治29年には児玉郡神保原村となった。 昭和29年に賀美村、七本木村、長幡村と 合併し、児玉郡上里村となった。なお、 元標から500m北にある石神社(せき)は 全国にある石神社の総社だという。 |
↑七本木村道路元標 児玉郡上里町七本木 メモリアル公園(上里町体育館)の入口に ある。ここは七本木小学校(しちほんぎ)の 跡地。元標は25cm角、地上高60cm。 賀美郡七本木村は七本木村、嘉美村、 堤村、三町村が合併して明治22年に誕生。 明治29年には児玉郡神保原村となった。 昭和29年に賀美村、神保原村、長幡村と 合併し、児玉郡上里村となった。 |
神川町の道路元標
↑丹荘村道路元標 児玉郡神川町関口 県道22号上里鬼石線がJR八高線を 横断する地点、鬼石街道踏切にある。 当初の設置地点は植竹739と記録されて いるので、駅の東口付近である。 25cm角、地上高70cm、下部には 55cm角、地上高23cmのコンクリート。 賀美郡丹荘村(たんしょう)は植竹村、 元阿保村、原新田村、関口村、肥土村、 八日市村、貫井村、小浜村、 四軒在家村と児玉郡熊野堂村が 合併して明治22年に誕生。明治29年に 児玉郡へ編入となった。昭和29年には 青柳村と合併して児玉郡神川村へ。 |
↑青柳村道路元標 児玉郡神川町二ノ宮 県道22号線の[青柳小学校]交差点、 青柳駐在所の脇にある。設置場所の 住所は当初から変わっていないが、 元標の正面は県道に向いていない。 写真の奥が県道、さらに奥の建物が 青柳小学校。25cm角、地上高68cm。 下部は60cm角のコンクリートで 固定されている。 児玉郡青柳村は二ノ宮村、新宿村、 池田村、中新里村、新里村が合併して 明治22年に誕生。昭和29年に丹荘村と 合併して児玉郡神川村となった。 なお、旧二ノ宮村は江戸時代は金鑽村と 称した。武蔵国二ノ宮金鑽神社の鎮座地。 |
↑若泉村道路元標 児玉郡神川町渡瀬 県道22号線の旧道から神流川水辺公園 (渡戸の渡しの跡地)へ向かう三叉路にある。 渡船場へ続く昔からの旧道(鬼石街道)だ。 脇には大正元年に渡瀬青年会が建てた 道標あり。県道22号線はここから300m南で、 渡戸橋(神流川)を渡り、群馬県へ入る。 道路元標は25cm角、地上高65cm。 児玉郡若泉村は渡瀬村、上阿久原村、 下阿久原村が合併して、明治22年に 誕生した。昭和24年には渡瀬村と 阿久原村へ分村した。 若泉村は昭和32年に神川村へ合併、 阿久原村は昭和29年に神泉村へ合併。 |
戻る:[道路元標の一覧] [北埼玉郡][南埼玉郡][北葛飾郡][北足立郡][大里郡][深谷市][熊谷市][比企郡][入間郡][秩父郡]