渡戸橋 (わたど)
場所:神流川、左岸:群馬県多野郡鬼石町鬼石(おにし)、右岸:埼玉県児玉郡神川町渡瀬
形式:RC開腹アーチ橋(リブ+柱、2スパン:径間長31.4m) 側径間はRC桁橋(径間長5.0m)
全長75m、幅5.4m 建設:昭和11年(1936)4月
↑渡戸橋 (上流から) 県道22号上里-鬼石線((鬼石街道))に架かる。 ここは昔からの交通の要所であり、渡戸橋が架かるまでは 神流川の渡河は渡戸の渡しと呼ばれる渡船だった(注)。 150m上流の右岸にある神流川水辺公園は 渡戸の渡しの跡地である。渡戸橋が架けられた当時、 右岸は児玉郡若泉村であり、渡戸の渡しの入口付近には、 大正時代に設置された若泉村の道路元標が今も残っている。 なお、橋名の渡戸とは渡河地点のことを指す普通名詞だが、 左岸の鬼石町鬼石と右岸の神川町渡瀬の小字名でもある。 |
↑渡戸橋 (下流から) 架橋地点の神流川の両岸には岩盤が露出している。 周辺には緑が多く、紅葉と神流川の渓谷美が堪能できる。 谷が深く岩盤が強固なので、橋の形式としてアーチ橋が 採用されたのだろう。下流側に見える赤い橋は昭和52年(1976)に、 併設された渡戸橋歩道橋。2径間の鋼桁橋で桁の製作は 古河鉱業(株)。なお、渡戸橋には竣工当初は金属(鋳鉄製?)の 橋灯と欄干が設けられていたそうだが、戦時中に供出されて しまったそうである。上部工(欄干、橋面)は改修されているが、 下部工は、ほぼ建設当初の状態が残る。 |
←アーチリブと柱 (左岸から) 渡戸橋の開腹アーチは、アーチリブと柱で構成されている。 開腹アーチはコンクリート量を節約できる、軽量となる、 洪水時に水の逃げ道がある、等の利点があり、 古い時代のRCアーチ橋でよく見られる形式だ。 柱は2柱ではなくラーメン構造。 柱の上端(床版の支承部)には、持ち送りが設けられている。 コンクリートの打ち放しであり、表面には化粧は施されていない。 |
(注)昔の渡船場ではよくあったことだが、冬の渇水期には船の運航が困難になること、
増水の危険性もあまりないこと、などから簡易的な板橋が架けられた。渡戸の渡も同様だった。
武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の児玉郡渡瀬村(8巻、p.169)に、渡戸の渡の記述がある。
”渡:鬼石道に属す 村の南方 神流川の上流にあり 渡船二艘 対岸上野国緑野郡鬼石町と共に渡船を扱ふ 私渡”
対岸の鬼石町と協力して運営されていた民間の渡である。船二艘の内訳は人渡船一艘、馬渡船一艘だった。
(追補)渡戸橋は土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
→日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。
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