都幾川 〜 木のむらキャンプ場から中尾原橋まで [都幾川のページ一覧]
撮影地:埼玉県比企郡都幾川村大野、西平
(1)木のむらキャンプ場(下流から) 都幾川村大野 中カ(なか)バス停の付近。木のむらキャンプ場は都幾川の 河川敷に設けられている。アクセスの便を考えて、大小 2つの橋(木製とコンクリート製)が架かっている。 管理棟(写真の右端)の北側には芭蕉の句碑がある。 俳諧が盛んだったようで、都幾川村には句碑が多い。 村道の脇には弁財天(水にまつわる神)が祀られている。 この辺りはかつての大椚村の中心地(注1)であり、 左岸側には大椚第一小学校と大野神社(村社)がある。 周辺には上サ、下モといった漢字とカタカナを合わせた 小字が多い。集落の位置する高度差を表したのだろうか。 |
(2)七重川の合流(下流から) 都幾川村大野 写真(1)から900m下流、この付近の標高は約200m。 境神バス停(注2)の付近では、左岸へ七重川(ななえ)が 合流する。七重川は堂平山(標高876m、秩父郡東秩父村白石と 比企郡小川町腰越の境界)を源流とする一級河川。 終点から200m上流の七重橋(県道172号線)の左岸橋詰には、 埼玉の砂防発祥地の碑(平成8年建立)が建っている。 七重川に設けられた砂防堰堤群(百段の滝の異名を持つ)は 大正5年に大椚公営所が設置され、大正6年に建設された 埼玉県で最初の砂防堰堤である。これを皮切りに外川、都幾川に 数百もの砂防構造物(堰堤、落差工、床固め工)が建設された。 |
(3)都幾川(右岸から) 都幾川村西平 写真(2)から600m下流。七重川の合流付近から都幾川は 県道172号線に沿って流れるのだが、谷が深くしかも 周囲は森林なので、左岸側からは川の流れを目に することができない。右岸側には森林管理道[諸倉線]が 並走しているので、かろうじて都幾川の流れが見える。 しかし、この林道は途中で行き止まりとなってしまう。 |
(4)諸倉橋の付近(下流から) 都幾川村西平 写真(3)から800m下流。諸倉橋(もろくら)の直上流に 設けられた砂防堰堤(錬り石積み)。堰堤の裏側(上流側)は 垂直だが表側はわずかに傾斜させてある。下流右岸では 諸倉沢(渓流)が都幾川へ合流している。ここから100m 下流には村営スケート場があり、河川敷の中には 木製の人道橋(おそらく冠水橋だろう)が架かっている。 |
(5)正法寺川の合流(上流から) 都幾川村西平 写真(4)から400m下流。この付近の標高は約150m。 左岸へ正法寺川が合流する。合流地点には 昭和50年代まで織物工場の水車が設置されていたという。 この下流では都幾川の左岸へ瀬稲沢、潜り戸沢 (共に土石流危険渓流)が合流する。 |
(6)中尾原橋の付近(下流から) 都幾川村西平 写真(5)から600m下流。ここまで森林に囲まれて水の流れが 直視できなかった都幾川だが、やっと遮るものがなく開放的になる。 中尾原橋はごく普通のRC床版橋だが、欄干は擬木調。 右岸には西平運動場、左岸橋詰にはミニパークがある。 下流にあるのは農業用水の取水堰(魚道が併設されている)だろうか。 |
(注1)大椚村とは大野と椚平を合わせた村名であり、都幾川村へ
合併する昭和30年までは比企郡ではなく、秩父郡に属していた。
大野と椚平は都幾川を挟んで別々の谷に位置するのだが、古くから交流があったようだ。
中世には大野村と椚平村は、比企郡大河原郷(ほぼ東秩父村の村域と
小川町勝呂)に属し、江戸時代には天領だった。
なお、大野村の村社である大野神社は、妙見社(武蔵国郡村誌では身形社)と
神明社を合祀したもの。かつては秩父七妙見宮の一つだった。
秩父地方の総鎮守であり、妙見様(女神)として親しまれているのが、秩父神社である。
(注2)境神(さかいがみ)は、旧大野村と旧平村の境界にある地。
都幾川村村史 地理編、p.468によれば、境神という地名は、
境の神(さかいのかみ:塞の神)に由来するのだという。
塞の神(さいのかみ)とは、村境などに設けられた結界を指す。
埼玉県の北部(特に忍領)に多く分布している。
毎年4月に行われる大野神社の送神祭(悪魔送神祭)では、
疫病神を村外へ追いやる神事がここで催される。