悪水路開鑿の碑

 新渠の碑   ←新渠の碑
 薬師堂(行田市真名板)
 慶応2年(1866)建立。
 撰文は敷田年治、書は萩原翠

 碑の裏側には村方9名と共に、
 志多見村 松村某、串作村 酒巻某、
 富田家臣 酒巻某の名が記されている。
 真名板村は村の西側に星川(
見沼代用水)、
 東側には
阿良川堤が位置し、
 たびたび洪水に悩まされていた。

 この碑には排水を改良するために
 地元民によって落しが開削された経緯が記されている。
 天保11年(1840)2月の延長116間(209m)の開削を
 始めとして、安政5年(1858)には486間(875m)、
 深さ7尺(2.1m)の堀が開削されている。
 これらの堀の排水先は星川だったと思われる。

 悪水路開鑿の碑

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 東泉寺(行田市関根)
 明治33年(1900)5月建立。
 撰文は埼玉県知事 山田春三。

 関根村、真名板村、藤間村が連合して、
 明治8年(1875)に実施した
関根落周辺の
 築堤工事や伏越工事について記されている。
 藤間地区から真名板、関根地区へと
 用悪水を流すために、関根落の下を
 横断する木製の伏越が建設されている。
 なお、これら3村は1901年に太田村と合併している。

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