備前渠改閘碑記
撮影地: 深谷市矢島、備前渠用水左岸(瑞穂橋付近)
←備前渠改閘の石碑 明治36年(1903)建立。 題字は徳川慶喜(15代将軍!)、碑文は渋沢栄一。 深谷市矢島は、渋沢栄一の生誕地:血洗島から 南へ1Km程の距離に位置する。 碑文には水を引くために、取水口を求めて上流へと遡り、 久々宇村(くぐう、現.本庄市久々宇)まで到達したこと。 (現在では更に上流の本庄市山王堂で利根川の右岸から取水している) 明治19年(1886)、久々宇に煉瓦造りの樋管を建設したこと(備前渠圦樋)。 明治30年(1897)、矢島に煉瓦造りの堰を建設したこと(矢島堰)。 明治33年(1900)、久々宇の樋管を改修したこと(浚渫と煉瓦による改修)。 ...が記されてある。 これらの施設はどれも、当時の最先端の建材だった煉瓦で建造されている。 なお、この石碑の全文(返り点がまったくない漢文)と読み下し文が、 文献4には、9頁にわたってまとめられている(労作である) |
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石碑の題字→ 備前渠改閘碑記と篆刻されている。 (びぜんきょかいこう) 改閘は閘(水門)を改築したという意味。 深谷市内には、撰文が渋沢栄一の 石碑が非常に多い。農業関係では 大塚の共栄橋(小山川)の左岸橋詰に 耕地整理記念碑(昭和4年建立)がある |