雀川 (その2) (その1)
(1)川原橋の付近(下流から) 玉川村五明 雀川橋(県道30号飯能寄居線)から200m下流。 左岸へ滝山・萬開沢(土石流危険渓流)が合流している。 この付近から終点まで、雀川はおおむね県道30号線と 県道171号線の北側を並行して流れる。 |
(2)吉沢川の合流(左岸下流から) 玉川村五明 (1)から300m下流。吉沢川が右岸へ合流する。 堂山(標高250m)の裾、日影の吉沢地区から流れてくる、 延長約700mの渓流である。雀川には写真右下のような、 河床へ降りるための階段が多く見られる。一種の川棚だろうか。 |
(3)ホタルの里公園の付近(下流から) 玉川村五明 (2)から400m下流。雀川の左岸に整備されているのが ホタルの里公園。東屋や遊具が設けられた親水公園だ。 雀川には蛍の生息地が数多く存在するそうだ。なお、南に 位置する白石神社(五明の村社)は大己貴命を祀って 寛永七年(1630)に勧請されたのだが、後に新井白石を 敬して、白石大明神と改称したという(郡村誌6巻、p.225) |
(4)風沢堰の付近(上流から) 玉川村五明 (3)から700m下流。ここまで雀川は3箇所でJR八高線を 横断している。雀川の右岸側には県道171号線との間に 水田が広がっている。風沢堰は左岸へ農業用水を取水している。 ただし、雀川の河床が低いため、自然取水は困難なようで 揚水機場が併設されている。ここから200m下流では、左岸へ 槍沢が合流している。槍沢は五明と玉川の境界となっている。 |
(5)春日神社の付近(上流から) 玉川村玉川 (4)から1.2Km下流。雀川は春日神社の周辺の約300mの 区間だけ、写真のような渓谷となっている。これが名勝 玉壺(注)であり、玉川の名前の由来である。春日山の 南裾に位置する春日神社は玉川郷の鎮守であり、モミ、 スダジイ、カシ、タブノキから成る社叢林は、埼玉県の [ふるさとの森]に指定されている。また、春日神社の 一帯は玉川村里山文化圏とされており、西方の 北山ため池の付近には里山体験林もある。 |
(6)雀川の終点(上流から) 玉川村玉川 (5)から700m下流。雀川は都幾川の左岸へ合流して終わる。 写真の手前が雀川、奥が都幾川。右端の標石は 昭和55年に埼玉県が設置した治水計画基準点。 ちなみに雀川の第一橋(最下流に架かる橋)は 宮ヶ谷戸橋である。 合流地点の都幾川の左岸には、広い河川敷があり、 公園として整備される予定があるようだ。 |
(注)武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の比企郡玉川郷(6巻、p.201)には、
名勝 玉壺とは、春日神社の前面にあり、この付近の地形の総称を玉壺というと
記されている。巨岩が織り成す渓谷美はその形態から蛇腹岩とも称されていたようだ。
春日神社は藤原氏が氏神として奉ったのが起源とされる。
春日神社には芭蕉の句碑、聖徳太子の碑(大正14年、玉川職工組合建立)がある。
北側の龍福寺には安永三年(1774)建立の弁才天(水の神様)もある。
なお、春日神社の参詣橋として雀川に架かるのは春日橋だが、
その200m下流に架かる県道173号線の橋も、紛らわしいことに春日橋である。
県道173号線の春日橋の北側には鎌倉時代の堀ノ内館跡がある。
藤原盛吉の館だったとする説が有力である。