都幾川  JR八高線から坪ノ内橋  [都幾川のページ一覧

 撮影地:埼玉県比企郡都幾川村、玉川村
 (注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。

 JR八高線 都幾川橋梁の付近
↑JR八高線 都幾川橋梁の付近(上流から)
 左岸:都幾川村番匠、右岸:玉川村玉川
 都幾川橋梁の上流右岸へは番匠川が合流している。
 この付近は愛宕山の麓であり、都幾川周辺の地形は
 両岸が迫って川幅は狭くなり、谷の様相を呈している。
 その谷を跨いでいるのがJR八高線の
都幾川橋梁
 昭和初期に建設された6スパンのプレートガーダー橋だ。
 都幾川の流れは浅瀬となっていて、所々に巨大な岩床
 (凝灰岩やレキ岩)が露出している。緑色をした結晶片岩も
 見られる。一方、河床には砂の分布は少なく、
 ほとんどが礫である。
   明神淵:岩淵神社の付近
  ↑明神淵:岩淵神社の付近(上流から)
   左岸:玉川村玉川、右岸:都幾川村番匠(ばんじょう)
   岩淵神社は都幾川右岸の崖上に建つ。写真の右端が
   岩淵神社の社叢林。岩淵神社の脇には県道172号線が
   通っていて、都幾川に沿い、都幾川村大野と東松山市を
   結んでいる。ここまで東へ向かって流れて来た都幾川は、ここで
   北へと大きく蛇行する。蛇行地点の水衝部は明神淵と呼ばれる、
   大きな淵となっていて、破岩堰(われいわ:斜め堰)が設けられ
   ている。ここにはかつて、堰からの水を利用した水車(製粉用)が、
   あったそうである。明神淵の上流には破岩橋が架かっている。
   流れ橋ではなく永久橋だが、幅員はかなり狭い。

 玉川橋の付近
↑玉川橋の付近(上流から) 玉川村玉川
 玉川橋の上から撮影。下流には宮ケ谷戸堰(農業用水の
 取水堰)が設けられている。県道171、172、173号線を
 繋ぐ要所に架かるのが
玉川橋。大正10年(1921)竣工、
 埼玉県史上初のRCアーチ橋だ。コンクリート製の橋としても
 埼玉県では現存最古である。さほど老朽化していないが、
 県道の橋としては狭すぎるので、下流に新玉川橋を
 建設中である。なお、玉川橋から南東へ400mの
 ひと市交差点には、玉川橋の竣工と同時期に 
 設置された
玉川村の道路元標が今も残っている。

   
新玉川橋の付近
  ↑新玉川橋の付近(下流から) 玉川村玉川
   玉川橋から600m。この付近には開放的でゆったりと
   落ち着いた風景が展開する。木々の緑の豊さと都幾川の
   水の美しさ、そして遠方の山々が織りなす景観は素晴らしい。
   とりわけ、都幾川はその変化が多彩、多様であり、
   わずかな区間で急峻な渓谷から広々とした河原へと
   変貌している。この付近では両岸に水田が広がっているが、
   玉川橋の上流付近の両岸は鬱蒼とした林となっていて、
   川幅は狭まり渓谷美が見られる。

 雀川の合流
↑雀川の合流(右岸から) 玉川村玉川
 新玉川橋から200m下流では雀川(一級河川)が都幾川の
 左岸へ合流している(注)。おおむね東へ流れて来た
 都幾川は新玉川橋の付近から流れを北へ変えている。
 雀川の源流は玉川村日影地区にあり、最上流には
 雀川砂防ダムが設けられている。雀川は砂防ダムから、
 ここまでの延長は約6Kmだが、ほぼ全区間が
 砂防指定河川となっている。合流地点の都幾川の
 左岸には、広い河川敷があり、公園として整備される予定が
 あるようで、測量調査が行なわれている。

   
坪ノ内橋の付近
  ↑坪ノ内橋の付近(上流から) 玉川村玉川
   雀川の合流から300m下流。この付近の標高は約80m。
   玉川村玉川の小字坪ノ内に架かる橋が坪ノ内橋。
   下流の小字和田には和田橋が架かっている(ここから
   300m下流)。都幾川が玉川村の村域を流れるのは、
   約3Kmだが意外に橋が多く、建設中の新玉川橋を
   含めると5基ある。坪ノ内橋の下流では左岸に
   岩の露床があり、河床にも大きめの岩が分布している。
   玉川ゴルフ場の付近から流れ出す沢が
   坪ノ内橋の下流左岸へ合流している。

(注)雀川の下流部はかつては玉壺川と呼ばれ、それを略した玉川が
 玉川村の由来となったとする説もある。
 例えば武蔵国郡村誌の比企郡玉川村(6巻、p.199)。
 なお、春日神社付近の雀川の渓谷美は今も玉壺と呼ばれている。


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