毛呂川橋梁 (東武鉄道 越生線)

 所在地毛呂川(もろがわ)、埼玉県入間郡越生町上野〜毛呂山町岩井
 形式:上路プレートガーダ橋(2スパン、径間(推定)22.5m+6.5m)  建設:昭和8年1933

 東武越生線の前身は昭和7年2月に、坂戸町(現.坂戸駅)〜高麗川(森戸、現.西大家駅?)間5.0kmで、
 営業を開始した越生鉄道(株)である。終点の高麗川が示すように、開通当時は高麗川を渡ることはなく、
 終点は
入間郡大家村森戸(現在の坂戸市森戸)であった。大家村は坂戸町と合併して
 昭和29年に消滅したが、その名前は西大家駅に引き継がれている。なお、西大家駅の付近には
 
大家村の道路元標が置かれていたが、それは現在も残っている。
 越生鉄道は昭和18年7月に
東武鉄道に買収され、東武越生線となった。
 現在は越生駅(入間郡越生町)と坂戸駅(埼玉県坂戸市)の区間8駅を結ぶ単線で、路線距離は10.9km。

 毛呂川橋梁
↑毛呂川橋梁(上流左岸から)
 東武越生線の武州唐沢駅〜東毛呂駅の間に位置する。
 越生鉄道が毛呂川を越えて越生町に伸延するのは、昭和8年
 (営業開始の翌年)だと思われる。本橋はその伸延時に建設
 されたものだろう。不自然な形の2スパンとなっているのは、
 100フィートのプレートガーダーが入手できなかったからだろう。
 主径間の桁はポーナル型のプレートガーダー(70フィート?)。
 ポーナル型の桁はイギリス式とも呼ばれ、鉄道創生期の
 明治20〜30年代には鉄道橋の標準形式であった。
 本橋の桁は、他の路線で不要になった桁を転用したものだろう。
 主径間には他社の名が記された銘板が残されている。

   主径間の銘板
   ↑主径間の銘板
   ??HPANE&C
    KOYA.R.W.
    DUDLEY
   ENGLAND
   銘板にはこの桁は、KOYA.R.W.がイギリスのダドリーの会社へ
   発注したものだと記されている。KOYA.R.W.とは、
   高野鉄道(1898年に開通、現.南海電鉄高野線)だと思われる。
   東武鉄道の根津社長は、明治45年(1912)から高野鉄道の社長を
   兼任していた(→文献、p.265)。ちなみに、私鉄の鉄道橋に
   他社あるいは官鉄(旧国鉄)からの転用桁が使われた例は
   珍しくはない。東武伊勢崎線の
備前前堀川橋梁には阪鶴鉄道からの
   転用桁(ポーナル型)、秩父鉄道の
見沼代用水橋梁には官鉄からの
   転用トラス(ポニー型)が使われている。

  桁の内部
 ↑桁の内部(主径間)
 初期のポーナル型の特徴であるブラケット(ロの形を
 した部材)が見える。ブラケットには対傾構(×形の
 補強)が設けられている。ただし、これは建設当初
 からの物なのかは不明。

   桁と橋脚
  ↑桁と橋脚(上流左岸から)
   手前がポーナル型のプレートガーダー(桁高1.5m)。
   スティフナー(縦方向の補剛材)は13本。
   奥のプレートガーダー(アメリカ式)は、桁高が0.63mと小さい。
   橋脚と橋台はRC。橋台周辺の擁壁は練石積み。

 参考文献:東武鉄道百年史、東武鉄道株式会社、1998


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