道路元標 (入間郡)_ 北埼玉郡 (南埼玉郡) 北葛飾郡 (北足立郡) (大里郡) (深谷市) (熊谷市) (比企郡) 児玉郡 秩父郡

川越市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
川越町 川越20 県道12号と県道39号の[札の辻]交差点  
芳野村 北田島字寺町352 厳島神社の付近 芳野出張所から北へ300m
南古谷村 今泉字屋敷廻372 川越市役所 南古谷出張所の北側の三叉路 道路は拡幅されている
仙波村 大仙波新田41 不明  
大田村 豊田本字池ノ上1696 大田街道、大東東小の南側  
日東村 大袋新田字高橋466 大東西小の西側の三叉路 道路は拡幅されている
高階村 砂新田50 東上線 新河岸駅の南側の交差点  
福原村 中福字足ヶ窪146 県道6号(所沢街道)の中福交差点付近? 福原村役場跡の石碑あり
植木村 上老袋字前通216 舟塚古墳跡の東側?、入間川の河川敷の可能性大 旧比企郡
名細村 鯨井字後1118 県道39号、川越市災害備蓄庫の付近 旧高麗郡
霞ヶ関村 笠幡字本郷4551 県道15号、[笠幡団地入口]交差点付近   〃、付近に火の見櫓

(補足)川越市の入間川の周辺には、几号の付けられた古い仕様の水準点(内務省、
  昭和五年)や埼玉縣が設置した水準点など3基が現存している。 
  それらは昭和初期に完了した入間川の河川改修のさいに、測量の補助水準点として
  設置されたと思われる。道路元標と同様に希少な存在である。

 山田村道路元標
↑山田村道路元標 川越市山田161
 川越市役所
 山田出張所の敷地内にある。
 住所は当初の設置場所と変わっていない。
 現在は道路に背を向けているが、以前は
 脇の道路(国道254号線の旧道)の方を
 向いていたと思われる。25cm角、
 地上高56cm。入間郡山田村は志垂村、
 上寺山村、中寺山村、下寺山村、福田村、
 府川村、網代村、宿粒村、向小久保村、
 石田村が合併し明治22年(1889)に誕生。
 
入間川の右岸に隣接した村だった。
 昭和30年には川越市へ合併した。
   古谷村道路元標
  ↑古谷村道路元標 川越市古谷上3830
   川越市役所
 古谷出張所の敷地内にある。
   花崗岩製で、25cm角、地上高46cm。
   元標の正面は国道16号線に向いている、
   入間郡古谷村は古谷上村、古谷本郷、
   大中居村、小中居村、高島村、八ッ島村が
   合併して明治22年(1889)に誕生。
   昭和13年(1938)には植木村の一部、
   下老袋と東本宿が古谷村へ合併した。
   北が伊佐沼、西が
九十川、東が入間川に
   面した村だった。
   昭和30年には川越市へ合併した。
   田面沢村道路元標
  ↑田面沢村道路元標
 川越市小室
   泉小学校の校庭、南側のフェンス際にある。
   元標の正面がフェンスに向かっていて、
   しかも隙間がないので、[田面澤村]の
   文字は誰の目にも入らない。
   花崗岩製で、25cm角、地上高42cm。
   入間郡田面沢村(たのもさわ)は小室村、
   今成村、小ヶ谷村、野田新田が合併して
   明治22年(1889)に誕生。入間川の右岸に
   面した村だった。村名は万葉集の古歌の
   一節から採ったものだという(注)
   昭和14年には川越市へ合併した。

(注)この付近の歴史は古く、小ヶ谷地区に広がる水田は田面沢条里の跡。
 条里とは奈良時代から行なわれた土地の区画制度。JA田面沢の敷地内には
 田面沢村の解散記念碑と耕地整理記念碑(大正6年建立)があるが、
 耕地整理記念碑の碑文によると、田面沢村では比較的早い時期
 (明治41年と大正6年)にも耕地整理が展開されている。
 なお、大正3年には東上鉄道(東武東上線の前身)が池袋から川越まで
 開通したが、その時の終着駅が田面沢駅(小ヶ谷地区)だった。
 東上鉄道は開通当初、入間川を越せなかったのだ。その後、大正5年10月の
 川越町-坂戸町間の開通に伴い、入間川の左岸側に霞ヶ関駅が開設され、
 田面沢駅は廃止・撤去された。田面沢駅があった周辺には、
 現在も古い
鉄道橋(橋台が煉瓦造)が数多く残っている。


坂戸市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
坂戸町 坂戸3975 県道74号と県道39号の[日の出]交差点?  
勝呂村 石井字宿内1880 県道74号、[勝呂公民館]交差点 公民館が役場の跡地
三芳野村 横沼字前原方192 県道269号、[三芳野小前]交差点 交差点には明治二年建立の道標(復刻)
入西村 新堀字出口228 入西小学校の南側のT字路、火の見櫓の付近 公民館に入西村の記念碑

 
大家村道路元標





↑大家村道路元標 坂戸市石井1800
 この元標は坂戸市立歴史民俗資料館に
 収蔵されている(注)。本来は西大家駅
 (東武越生線)付近の県道74号日高
 川島線の脇に設置されていたが、
 道路改修に伴い、資料館に持ち込まれた
 のだという。25cm角、全長90cm。
 入間郡大家村は森戸村、成願寺村、
 四日市場村、萱方村、欠野上村、厚川村、
 多和目村が合併して明治22年に誕生。
 村の中央に
高麗川が流れる細長い形の
 村だった。大家村は昭和29年には
 坂戸町へ合併した。

(注)坂戸市立歴史民俗資料館は、勝呂小学校の木造校舎(昭和13年竣工)を
 移築・改修したもの。なお、資料館の付近は昭和29年まで入間郡勝呂村であり、
 南側に位置する勝呂公民館は勝呂村役場の跡地である。
 県道74号線の交差点付近に、勝呂村の道路元標が設置されていたのだが、
 現在のところ行方は不明である。なお、塚越地区には大正9年(1920)に
 勝呂村青年団が建立した
道標が現存している


鶴ヶ島市の道路元標

 鶴ヶ島村道路元標





  ↑鶴ヶ島村道路元標
 鶴ヶ島市脚折(すねおり)
   旧日光街道の脚折才道木交差点から
   北へ100m、才道木歩道橋の下にある。
   写真の奥は鶴ヶ島市立第一小学校。
   元標は花崗岩製で、25cm角、地上高50cm。
   高麗郡鶴ヶ島村は膝折村、三ッ木村、
   三ッ木新田、五味ヶ谷村、戸宮村、
   大塚野新田、高倉村、町屋村、藤金村、
   上新田村、中新田村、下新田村、上広谷村、
   太田ヶ谷村が合併して明治22年に誕生。
   明治29年に入間郡鶴ヶ島村となり、
   昭和41年(1966)に鶴ヶ島町、
   平成3年(1991)に鶴ヶ島市となった。

毛呂山町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
毛呂村 前久保字臥龍山968−内イ 前久保の一部は岩井へ編入されている 臥龍山とは伊波比神社の参道付近
山根村 大谷木字日影599 県道186号、[中屋敷]バス停付近 大谷木中央公会堂が役場の跡地

 
川角村道路元標

 ←川角村道路元標
 入間郡毛呂山町川角
  川角小学校の敷地内、歩道橋付近の
  塀の脇にある。この元標は元来は県道39号
  川越坂戸毛呂山線に設置されていたと
  思われる(追補)。川角小学校の
  東側にあるJA川角は旧村役場の跡地に建つ。
  元標は25cm角、地上高60cm。
  入間郡川角村は川角村、西戸村、市場村、
  箕和田村、西大久保村、大類村、苦林村、
  下川原村が合併して明治22年に誕生した。
  村の中央を
越辺川が流れる村だった。
  川角村は昭和30年に毛呂山町と
  合併して毛呂山町となった。

 (追補)川角村の道路元標は川角村役場の
 敷地内に設置された可能性が非常に高い。
 [
四方の山々自転車探訪]の管理人である、
 Kac3さんから、川角村の村役場位置についての
 克明かつ詳細な指摘をいただいた。
 同氏の調査報告によって、大正初期の時点で、
 川角村の村役場は、この元標の場所にあったことが
 明らかになった。

越生町の道路元標

 越生町道路元標
↑越生町道路元標 入間郡越生町越生
 越生駅入口(県道30号飯能寄居線)から
 道路に沿って北へ150m、福田新聞店の
 前の小公園にある。ここは二七の市が
 開かれていた場所だという。県道30号は、
 相模街道と呼ばれていたこともあり、
 付近には旧街道の町屋の雰囲気が残る。
 25cm角、地上高147cm。この元標は
 地面ではなく、台座の上に置かれている。
 入間郡越生町は越生村、上野村、如意村
 黒岩村、西和田村、鹿下村、成瀬村と
 比企郡古池村が合併して明治22年に
 誕生。昭和30年には梅園村と合併した。 
   梅園村道路元標
  ↑梅園村道路元標 入間郡越生町小杉
   県道61号越生長沢線の自然休養村センター
   入口の近く、梅園駐在所の脇にある。
   後には道路元標の説明板が設けられている。
   25cm角、地上高62cm。
   ここから800m北には 越辺川を挟んで、
   名勝地として知られる越生梅林が位置する。
   入間郡梅園村は小杉村、津久根村、大満村、
   黒山村、龍ヶ谷村、堂山村、上谷村と
   比企郡麦原村が合併して明治22年に
   誕生。村の中央を 越辺川が流れる村だった。
   梅園村は昭和30年には越生町と合併した。

日高市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
高麗川村 原宿字向方218-2 高麗川中学校の南の交差点付近 道路拡幅、川越線
高萩村 高萩字下宿77 国道407号と県道15号の[高萩]交差点の北  

 高麗村道路元標




 高麗村道路元標 日高市梅原
 県道15号川越日高線のバス停:
 高麗支所(こま)付近のT字路にある。
 元標の真上には、高麗中学校入口の
 案内標識が掲げられている。
 元標は25cm角、地上高53cm。
 表面は変色していて、黄色っぽいが
 石材は花崗岩である。
 高麗郡高麗村は高麗本郷、梅原村、
 新堀村、高岡村、清流村、楡木村、
 栗坪村、横手村、久保村、台村が
 合併して明治22年に誕生。明治29年に
 入間郡高麗村となった。昭和30年に
 高麗川村と合併して、日高町となった。


ふじみ野市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
福岡村 中福岡字観音前1016 薬王寺の付近?  

 大井村の元標



 大井村の元標 ふじみ野市苗間
 大井小学校の敷地内、
旧大井村役場の脇にある。
 これは道路元標ではない。昭和12年(1937)に
 尋常科(大井小学校)卒業同窓会が建てたもので、
 
比企郡七郷村の道路元標と同じような様式、建立経緯である。
 花崗岩製の高さ152cm、30cmの角柱で、4面に刻字がある。
 東経と北緯、標高、面積が刻まれ、東と西の面は
 道標を兼ねている。

 大井村の道路元標は大井103に設置された。
 国道254号線の[東入間警察入口]交差点付近だと
 思われる。ここからわずか100m南の地点だが、
 わざわざ、この元標が設置されたのは、
 既設の道路元標がなんらかの理由で
 消失してしまったからなのだろうか。

 入間郡大井村は大井町、苗間村、鶴ヶ岡村、亀久保村が
 合併して明治22年に誕生。昭和41年に町制をとり、大井町となった。
 平成17年(2005)には上福岡市と大井町が合併し、
 ふじみ野市となった。


三芳町に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
三芳村 北永井字西詰358-1 県道334号、[三芳小学校前]交差点 JA三芳の敷地内に、旧三芳町役場の所在地だったことを示す碑

富士見市、志木市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
水谷村 水子字京塚2507 県道266号、水谷小学校南東側の交差点 道路は拡幅されている
鶴瀬村 鶴馬字扇田2776 県道260号と県道334号の[鶴瀬]交差点?  

(注)志木市の現在の市域は、入間郡宗岡村と北足立郡志木町から成る。
 志木町の道路元標は今も残っている。→
北足立郡の道路元標

 南畑村道路元標
↑南畑村道路元標 富士見市上南畑
 JA南畑支所の南側、彰忠碑の前に
 県道113号線に面して置かれている。
 25cm角、地上高71cm。
 入間郡南畑村は上南畑村、下南畑村、
 南畑新田、東大久保村が合併して
 明治22年に誕生。
 荒川と
新河岸川に挟まれた村だった。
 南畑村は昭和31年に鶴瀬村、水谷村と
 合併して富士見村となった。
   宗岡村道路元標
  ↑宗岡村道路元標
 志木市中宗岡二丁目
   宗岡小学校の正門前にある。
   県道40号さいたま東村山線に面している。
   元標は25cm角、地上高60cm。
   入間郡宗岡村は旧宗岡村がそのまま、
   母体となり明治22年に誕生。昭和19年には
   宗岡村は北足立郡志木町、内間木村、
   入間郡水谷村と合併して、北足立郡志紀町(しき)
   となった。昭和23年に志紀町が分村したため、
   再び北足立郡宗岡村となったが、
   昭和30年に志木町と合併して足立町となった。

狭山市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
奥富村 下奥富848 広福寺とJA奥富支店の間 JA奥富支店の向かいが旧奥富村役場の跡地
水富村 根岸24 JA水富支店の付近  
入間村 南入曽字屋敷裏538 県道8号、入曽交差点 Aコープが旧入間村役場の跡地
入間川町 入間川2600-5 入間川小学校の付近?  
堀兼村 堀兼字旭野1222 光栄寺の東側 堀中集会所が村役場の跡地?

 柏原村道路元標






  ↑柏原村道路元標 狭山市柏原
   狭山環状有料道路入口の南方、
   [柏原小入口]交差点の付近。白髯神社の
   鳥居脇の歩道にある。白髯神社と
   柏原小学校の間にある柏原公民館が
   柏原村役場の跡地。25cm角、地上高64cm。
   柏原村は明治22年(1889)に群制の
   変更によって、高麗郡柏原村となり、
   明治29年には入間郡柏原村となった。
   昭和29年(1954)に水富村と合併して
   狭山市となるまで、長い間、独立した
   村であった。入間川左岸の河岸段丘上に
   発達した村である。

入間市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
宮寺村 城ノ塚489 宮寺小の付近?  
東金子村 小谷田字里ノ内1434 あずま幼稚園の付近 西武町→武蔵町
元加治村 野田字澤田711-1 西武小の東、中橋通りの交差点 西武町、旧高麗郡

 藤沢村道路元標
↑藤沢村道路元標 入間市下藤沢
 JAいるま野
 藤沢支店の敷地内、
 県道8号川越入間線に面して建つ。
 元標は26cm角、地上高66cm。
 入間郡藤沢村は下藤沢村と上藤沢村が
 合併して明治22年に誕生。昭和31年に
 豊岡町、宮寺村、東金子村、金子村などと
 合併して、入間郡武蔵町となった。

   金子村道路元標
  ↑金子村道路元標 入間市西三ッ木
   JAいるま野
 金子支店の敷地内、
   駐車場に面して建つ。25cm角、地上高63cm
   入間郡金子村は上谷ヶ貫村、下谷ヶ貫村、
   寺竹村、西三ッ木村、南峯村、木蓮寺村、
   花ノ木村、中神村、根岸村が合併して
   明治22年に誕生。昭和31年に豊岡町、
   宮寺村、東金子村、藤沢村などと
   合併して、入間郡武蔵町となった。

   豊岡町道路元標
  ↑豊岡町道路元標 入間市宮前町
   
入間市郷土民芸館(旧黒須銀行)の敷地内、
   国道299号線に面して建つ。25cm角、地上高91cm
   この道路元標は元来は扇町屋に設置されたので、
   ここへ移築されたのだと思われる。
   入間郡豊岡町は扇町谷村、黒須村、高倉村、
   善蔵新田が合併して明治22年に誕生。

 元狭山村道路元標
  ↑元狭山村道路元標
   東京都西多摩郡瑞穂町二本木
   瑞穂第三小学校の敷地内、正門の脇にある。
   25cm角、地上高54cm。
   入間郡元狭山村は駒形富士山村、高根村、
   富士山栗原新田、二本木村が合併して
   明治22年に誕生。
   昭和33年には二本木村の一部が分村し、
   残る村々が東京都西多摩郡瑞穂町となった。
   二本木村の半分は同年に入間郡武蔵町へ
   合併した。
 

飯能市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
飯能町 飯能18 不明 旧高麗郡
精明村 小久保字新田前150 精明小学校の北側
原市場村 原市場字宮ノ脇570-1 白髭神社の東、県道70号線
加治村 川寺字桐ヶ窪547 [加治公民館前]交差点の西側

 南高麗村道路元標
↑南高麗村道路元標 飯能市下直竹
 南高麗小学校の敷地内、正門の脇に
 ある。この付近は東京都青梅市との
 境界となっている。
 元標は25cm角、地上高53cm。
 高麗郡南高麗村は下直竹村、
 上直竹村上分、上直竹村下分、苅生村、
 上畑村、下畑村が合併して
 明治22年に誕生。
 昭和18年に飯能町と合併した。。

   東吾野村道路元標
  ↑東吾野村道路元標 飯能市井上
   JAいるま野
 東吾野支店(あがの)から
   西へ50m、国道299号線の歩道脇にある。
   25cm角、地上高60cm。
   右側面に昭和五十一年四月 當主
   小林堅二、左側面には国道改修工事の
   人夫が虎秀、井上地区から、それぞれ
   3名と4名記されている。
   この元標は国道改修工事後に復刻したもの。
   高麗郡東吾野村は井上村、白子村、長沢村、
   虎秀村、平戸村が合併して明治22年に誕生。
   明治29年には入間郡東吾野村となった。
   村の中央を高麗川が流れる村だった。
   昭和31年に飯能市と合併した。


所沢市に設置された道路元標で、見つかっていないのは下表のとうり。

町村名 設置場所 現在の住所 備考
柳瀬村 亀ヶ谷字亀寿90 柳瀬小学校の付近  
吾妻村 久米字宮ヶ谷戸1560 JAいるま野吾妻の付近  
山口村 山口字城上1570 山口小学校の東側  

 所沢町道路元標
↑所沢町道路元標 所沢市東町
 県道337号線から所沢プロペ(通り)への
 入口、ダイエー向かいの植え込みの中に
 ある。元標は25cm角、地上高65cm。
 入間郡所沢町は所沢町、上新井村、
 久米村が合併して明治22年に誕生。
 昭和18年に松井村、富岡村、小手指村、
 吾妻村、山口村と合併して、新生の
 所沢町となった。昭和25年に市制を
 公布し、所沢市となった。

   松井村道路元標
  ↑松井村道路元標 所沢市上安松
   松井小学校の正門前、県道24号
   練馬所沢線に面して建つ。
   元標は26cm角、地上高70cm。
   入間郡松井村は上安松村、下安松村、
   下新井村、牛沼村が合併して
   明治22年に誕生。昭和18年に所沢町、
   富岡村、小手指村、吾妻村、山口村と
   合併して、所沢町となった。

   
富岡村道路元標
  ↑富岡村道路元標 所沢市下富
   県道6号川越所沢線の下富交差点から
   西へ50m、JAいるま野
 富岡の脇にある。
   旧村役場跡と思われる建物が残っている。
   元標は25cm角、地上高61cm。
   62cm角の花崗岩製基礎(台座?)の上に
   置かれている。
   入間郡富岡村は中富村、下富村、
   北岩岡村、神米金村、北中村が
   合併して明治22年に誕生。昭和18年に
   所沢町、松井村、吾妻村、山口村、
   小手指村と合併して、所沢町となった。

 小手指村道路元標
↑小手指村道路元標
 所沢市小手指元町二丁目
 小手指小学校の敷地内、正門の脇にある。
 25cm角、地上高44cm。
 入間郡小手指村は北野村と上新井村が
 合併して明治22年に誕生。
 昭和18年に所沢町、松井村、吾妻村、
 山口村、富岡村と合併して、
 所沢町となった。

   三ケ島村道路元標
  ↑三ケ島村道路元標
   所沢市三ケ島五丁目
   県道179号線の三ケ島農協前交差点の
   脇、JAいるま野
 三ケ島の敷地内にある。
   元標は26cm角、地上高591cm。
   入間郡三ケ島村は三ヶ島村、
   三ヶ島堀内村、糀谷村、林村が
   合併して明治22年に誕生。
   昭和30年に所沢市と合併した。

   

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