都幾川  都幾川橋梁から高野橋まで  [都幾川のページ一覧

 撮影地:埼玉県東松山市

 都幾川橋梁
↑都幾川橋梁(下流から)
 右岸:東松山市高坂、左岸:上押垂(かみおしだり)
 東松山橋(国道407号坂戸バイパス)の上流に
 架かるのが、東武東上線の
都幾川橋梁
 大正12年(1923)竣工の鋼プレートガーダー橋だが、
 橋脚と橋台は石と煉瓦による重厚な造りである。
 東武東上線には、開通当初(大正末期)の
 形態のままの
古い鉄道橋が数多く残っている。
 都幾川橋梁の下流は浅瀬となっていて、橋脚の
 影響だろうか、大規模な州が形成されている。 
   都幾川リバーサイドパーク
  ↑都幾川リバーサイドパーク(上流左岸から)
   東松山市下押垂(しもおしだり)
   東松山橋の下流付近。かつて都幾川は東松山橋の上流と
   下流で大きく蛇行していたが、河川改修が行なわれ、
   現在の河道は直線化されている。東松山橋の上下流に
   都幾川の旧河道が残っているが、下流右岸の旧河道跡は
   都幾川リバーサイドパークとして整備されている。園内には
   運動場や多目的広場の他、沼地(湿地)も点在している。
   付近には
石造りの樋門が2基、石橋(元治元年(1864)竣工)が
   1基残っている。ここは高坂の渡しの跡地でもある(注1)

 新旧の堤防
↑新旧の堤防(上流から、東松山市上野本〜下押垂)
 都幾川の左岸には東松山橋の下流から約600mに渡って、
 旧堤防が残っている。写真の左が旧堤でこれが上野本と
 下押垂の境界となっている(注2)。旧堤は二線堤だろうか。
 いずれにせよ、写真の下押垂地区は堤外ということになる。

   氷川神社の付近
  ↑氷川神社の付近(上流左岸から)
   左岸:東松山市下押垂、右岸:高坂
   東松山橋から1.1Km下流。左岸堤防上から撮影。
   この付近は堤防のすぐ際まで民家が立地している。
   下流に見えるのは高野橋。

 都幾川
↑都幾川(下流から)
 右岸:東松山市早俣、左岸:東松山市下押垂
 写真は高野橋から上流を撮影。川島町との境界付近に
 架かるのが、高野橋(1987年竣工、鋼桁橋)。
 ここから200m下流で、左岸は川島町長楽となる。
 高野橋の旧橋は冠水橋(潜水橋や沈下橋ともいう。
 大雨の時には渡れない橋)であった。

   宮鼻の清水
   宮鼻の清水 東松山市宮鼻
   八幡神社から北東へ200mの地点、正代地区との境界付近に
   ある湧き水。俗に云う高坂の七清水のうちの一つである。
   高野橋の右岸から南西へ600mの付近、高坂から正代地区に
   かけては台地があり、潅木(ブナが多い)とスギから成る雑木林が
   形成されていて、折本山緑地と呼ばれている。台地の崖線に沿って
   多くの湧水があり、今でも野菜洗いなどの生活用水に使われている。

(注1)高坂の渡しは、武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の
 比企郡高坂村(6巻、p.148)に以下のように記録されている。
 ”八王子道に属す
 村の東方 都幾川の下流にあり 渡船二艘 私渡”
 渡船二艘の内訳は人渡一艘、馬渡一艘だった。
 現在の国道407号線の前身は、八王子道(八王子千人同心道)である。
 これは八王子から日光へ向かう古街道であり、日光脇往還とも呼ばれ、
 都幾川は高坂の渡しで渡河していた。高坂一丁目交差点の付近は、
 八王子道と日光道、秩父道、岩殿道が交わる地点だった。
 塚田商店の脇には、安永十年(1781)建立の
八王子道の道標
 嘉永七年(1854)建立の巡礼供養塔(道標を兼ねる)が現在も残っている。
 なお、高坂の渡しは明治時代頃まで存続したが、その後は都幾川に橋が架けられた。
 これが東松山橋の前身ともいえる高坂橋である。架橋地点は東松山橋の
 右岸橋詰から南東へ300m、都幾川リバーサイドパークの南端付近だった。
 ここは現在、都幾川の旧河道蛇行跡地となっている。
 また、後年、都幾川の新河道には押垂橋が建設されたが、
 これは木製の冠水橋だった。押垂橋は東松山橋の建設(1963年竣工)後も、
 地元の生活道路として残されていて、1995年頃までは存在していたようである。

(注2)上野本と下押垂は明治22年(1889)までは独立した村であり、
 それぞれ比企郡上野本村、下押垂村だった。
 明治22年4月に両村と柏崎村、古凍村、今泉村、下青鳥村などが
 合併して、比企郡野本村が誕生した。
 道路法施行令に基づき、大正末期に設置された
野本村の道路元標が、
 上野本と下野本の境界に今も残っている。
 上野本から下野本にかけての、都幾川の左岸の低地には水田が広がり、
 将軍塚古墳(比企郡最大規模の古墳)などが分布することから、
 古代から人々が居住していたことがわかる。
 この付近一帯を律令制時代の比企郡郡家郷(ぐうけ)だとする説もある。

 なお、上野本の野本八幡神社には明治25年に奉納された、
 堤防工事の様子を描いた絵馬がある。
 これは明治22年から明治24年にかけて実施された、
 都幾川の左岸堤防(砂塚堤)の工事竣工を記念したもの。
 上野本に現在残る旧堤防は、おそらくこの砂塚堤であろう。
 同時期には上流の葛袋地区でも築堤工事が行われている。


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