石の橋 (その7)   [石橋の一覧

雷電橋  雷電橋
 角川、埼玉県東松山市大谷(下流から)
 形式: 石の桁橋(1スパン) 長さ2.1m、幅1.8m 建設:明治22年(1889)3月

 角川は荒川水系の一級河川(滑川の支川)。
 この橋は大雷神社の参道入口に架かるのだが、
 大雷神社は、ここから北へ1.2Km先の丘陵の中に位置する。
 雷電橋は明治22年に大谷村氏子中が寄進したもので、角川の左岸には
 同時に建てられた旗立、鳥居、大理石の敷石も現存している。

 雷電橋は全て石造りであり、構造は石材(215×36×20cm)5枚を
 桁として渡しただけの簡素なもの。石材のうち一枚はコンクリート製に
 換えられている。これは補修ではなく拡幅の可能性が高く、
 当初は橋面の石材は4枚であり、橋の幅は1.4m程度だったのかもしれない。
 同様に橋台と桁の支承部に見られるコンクリートも
 補修ではなく嵩上げのためのものだろう。
 親柱(高さ59cm、21cm角)と欄干(高さ30cm)はダボで結合されている。

鎮守橋  鎮守橋

 上沼公園、埼玉県東松山市本町一丁目
 形式: 石造りのアーチ橋(1スパン) アーチ径 1.8m 建設:大正4年(1915)?

 上沼公園の南端に残されている。
 上沼公園は男沼とも呼ばれ、かつては農業用の溜井(溜池)であった。
 この橋は鎮守という名称と設置場所(西に松山神社、
 東に八雲神社が控える)から、神橋(神社の参詣橋)を
 兼ねていたと思われる。
 天端に残る親柱には、[大正四年 御大禮記念]と刻まれている。
 天端幅は3.6m、アーチ部の輪石は11個。
 アーチのライズ(迫高)は0.8mである。
 なお、上沼公園と夢小路で結ばれた女沼(下沼公園)には
 文化三年(1806)建立の
石橋供養塔がある。

高坂の石橋  高坂の石橋 - 東松山市指定歴史資料 -
 都幾川、埼玉県東松山市高坂(右岸から)
 形式: 石の桁橋(1スパン) 長 さ3.7m、幅 1.5m 建設:元治元年(1864)?

 国道407号の坂戸バイパスは、東松山橋で都幾川を渡る。
 東松山橋の下流側の河川敷は、都幾川リバーサイドパークとして、
 公園整備されている。かつて都幾川は、この地点では南へ大きく
 蛇行していたが、現在では河川改修の結果、河道は直線化されている。
 都幾川リバーサイドパーク南端の用水路に架けられているのがこの石橋。
 一枚岩(緑泥片岩)を両岸に渡しただけのシンプルな構造である。
 石橋の北側100m(写真左上)には、元治元年(1864)建立の
 
石橋供養塔が残っている。なお、この付近の都幾川には明治時代に
 建設された煉瓦造りや石造りの
樋門(水門の一種)が、数多く分布している。
 また、ここから東へ2Kmの川島町長楽には石造りの水路橋、
 
長楽用水掛樋(明治30年建設)も残っている。

戻る:[橋のメニュー] [石の橋1][石の橋2][石の橋3][石の橋4][石の橋5][石の橋6[石の橋7]石の橋8][石の橋9][石の橋10][石の橋11