鴨川 (かもがわ) (その1) (その2

 撮影地:埼玉県上尾

 鴨川は延長19.2Km、流域面積62.9Km2の荒川水系の一級河川。
 上尾市小泉を管理起点とし、ほぼ南へと流れ、さいたま市田島で荒川の左岸へ合流する。
 主な支川に逆川、浅間川
(せんげん)、新川、油面川(あぶらめん)鴻沼川がある。
 鴨川の源流部は桶川市鴨川一丁目付近にあり、現在は都市下水路(雨水)である。
 住宅地の側溝に集まった雨水や生活雑廃水が、暗渠(雨水幹線)へ集められ、
 地上に現れるのは桶川市と上尾市の境界付近である。都市型河川に顕著な形態だ。

 鴨川の北側には芝川(上尾市内では芝川都市下水路、中川水系)が並行して流れているが、
 両河川の分水界(というより荒川水系と中川水系の)は、JR高崎線に沿っていると思われる。
 鴨川は流域の急激な都市化に伴い、湛水被害や排水不良さらには水質汚濁が問題と
 なっているようで、下流部では大幅な河川改修が実施されている。典型的な都市型河川である。
 なお、鴨川の名前は川の東側に位置する加茂神社(現在の宮原町四丁目、旧加茂宮村)に
 由来し、加茂川と表記していた時代もあった。
→武蔵国郡村誌の足立郡加茂宮村(2巻、p.405)

 鴨川は元来は旧入間川(現在の荒川)の派川だった。旧入間川は西遊馬、土屋、佐知川、
 飯田地区を流れた後、現在の鴨川へと流れ込んでいたようである
(大宮市史 第三巻上、p.577)
 旧入間川は流路が定まらずに乱流して流れていたので、下流地域に洪水被害を及ぼしていた。
 そのため、流路を固定するために、江戸時代初頭に伊奈備前守によって、
 遊馬村(現.さいたま市西遊馬)の付近に締切堤防(土屋古堤)が築かれ、旧入間川の流れは
 一部が本流から分離させられた。これによって鴨川は実質的な水源を失ったことになるが、
 上尾市域から鴨川へ排水していた落し(農業排水路)が整備され、上流には新たな流頭部が
 形成されたのだと思われる。現在の上流部(上尾市の区間)の起源は、この旧落しであろう。

 かぶと橋の付近
(1)かぶと橋の付近(下流から)
 右岸:上尾市泉台二丁目、左岸:上尾市井戸木四丁目
 この付近は上尾市の北端であり、桶川市鴨川二丁目との
 境界。桶川市からの排水路と上尾市からの排水路が、
 かぶと橋の下流で合流する。両排水路(都市下水路)は
 暗渠なので、鴨川が水面を見せるのは、この地点から。
 鴨川の源流は桶川市内にある
(注1)。合流付近は側壁が
 コンクリート、低水路が木製護岸の複断面水路である。 
   管理起点
  (2)管理起点(上流から) 上尾市小泉
   写真(1)から1.2Km下流。上尾市小泉と浅間台四丁目、
   中妻四丁目の境界付近に、一級河川の管理起点が
   設けられている。JR高崎線の北上尾駅から南西へ1Kmの
   地点である。付近では河川改修工事(床止め?)が
   進行中であった。かつてこの付近の鴨川は
   農業排水路として使われていたそうだが、現在は
   新興住宅地となっていて、その面影はない。

 親橋の付近
(3)親橋の付近(下流から)
 右岸:上尾市小泉、左岸:上尾市浅間台三丁目
 写真(2)から500m下流。左岸には浅間台第7公園が
 ある。鴨川の周辺には小規模ながら、数多くの公園が
 設けられている。井戸木公園から鴨川中央公園を経て、
 大石中学校まで続く道は鴨川緑道として整備されて
 いる。これらは流出抑制のために整備されたのだろう。
 なお武蔵国郡村雑誌によれば、親橋は明治9年(1876)の
 時点で長さ6尺(1.8m)、幅4尺(1.2m)の石橋だった
(注2)

   
新弁財橋の付近
  (4)新弁財橋の付近(下流から)
   右岸:上尾市小泉、左岸:上尾市弁財二丁目
   写真(3)から700m下流。河道にはアシが繁茂している。
   橋名の弁財とは弁天様のこと。水の神様である。
   左岸の弁財地区は明治22年(1889)に大石村へ
   合併するまでは、足立郡弁財村であり、村名は弁天社が
   あったことに由来するのだという。
   なお、この付近には江戸時代に建立された
石橋供養塔
   
古い庚申塔(寛文〜延宝期)が数多く残っている。

 富士見親水公園の付近
(5)富士見親水公園の付近(上流から)
 左岸:上尾市富士見二丁目、右岸:上尾市川
 写真(4)から900m下流。鴨川橋(写真奥)と富士見橋の
 間の区間は富士見親水公園となっている。左岸のみだが
 河川敷があり、フェンスもないので、水辺へ近寄れる。
 河道は適度に蛇行し、護岸は施されていない。
 ここだけは昔のままの鴨川の面影が残されているようだ。

   
富士見親水公園の全景
  (6)富士見親水公園の全景(下流から)
   右岸:上尾市川、左岸:上尾市富士見二丁目
   鴨川橋の上から撮影。鴨川橋から北東1Kmには
   JR高崎線の上尾駅が位置するので、鴨川の両岸には
   住宅地や店舗が立ち並ぶ。その中で、開放感のある
   富士見親水公園は市民の貴重な憩いの場だ。
   橋の上で立ち止まって、鴨川の水辺を眺めている人も多い。

(注1)明治9年の調査を基に編纂された、武蔵国郡村誌の
 足立郡井戸木村(3巻、p.75)に鴨川水源の記述がある。
 ”鴨川水源:深八寸より二尺巾四尺より六尺
 村の北方桶川宿より来り
 
 東端を曲流し町谷村 中妻村を出入して東南中妻村に入る
 
 長十三町二十五間 小石橋三 土橋二を架す”
 桶川市内から上尾市井戸木へ流れて来るとあるので、
 鴨川の源流部の経路は、明治初期の時点で既に現在とほぼ同じである。
 ただし、”東端を曲流し”と記されているので、現在の真っ直ぐな流路とは
 異なり、頻繁に蛇行を繰り返して流れていたようである。
 注意すべき点は、足立郡井戸木村の村域は、現在の桶川市鴨川一丁目と
 二丁目に及んでいたことである。井戸木村は明治22年(1889)に
 北足立郡大石村へ合併したが、昭和30年(1955)に大石村が上尾町と
 合併するさいに上尾町井戸木と桶川町井戸木に分村している。
 桶川町井戸木が現在の鴨川一丁目〜二丁目に当たる。

 なお、桶川宿(3巻、p.3)には、”悪水溝:巾六尺 宿の南方字若宮南より起り
 東南流して井戸木村に入る 長百十五間
 是れ鴨川の水源なりと云ふ”と
 記されているので、かつてはJR桶川駅の西口付近が、鴨川の水源だったと推測される。
 現在はパークタウン若宮(団地)が建っているが、かつてそこには大小の沼があったそうだ。
 それらは溜池ではなく、台地からの湧水が谷地に集まって形成された自然湖沼であろう。

(注2)武蔵国郡村誌の2、3巻によれば、鴨川には現在の上尾市の区域だけでも
 親橋、緩木橋、中橋など7基もの石橋が架けられていた。ただし、いずれの橋も
 長さがせいぜい2間(3.6m)であること、架橋地点が平地であることなどから、
 石橋の形式はめがね橋(アーチ橋)ではなく、桁橋であったと思われる。
 昔の鴨川は現在よりも川幅がずっと狭かったようだが、それにしても、
 これらの石橋は信じがたいほど規模が小さかった。
 架橋地点は川幅が狭い箇所が選ばれ、さらに橋の形態は増水すると
 渡れなくなる橋(現在の用語では
冠水橋や潜水橋)だったのだろう。


戻る:[河川の一覧]  鴨川:[上流へ]下流へ]  鴨川周辺の石橋供養塔:[上尾市][さいたま市