忍沼川 (おしぬま)

 撮影地:埼玉県行田市(ぎょうだ)

 忍沼川は延長約1Kmの中川水系の準用河川。埼玉県行田市間一丁目を管理起点とし、
 南東へ向かって流れ、佐間三丁目で忍川の右岸へ合流する。佐間地区だけを流れる非常に
 短い河川だが、周辺が宅地化しているためか、見た目の印象は都市排水路である。
 忍沼川の源流は水城公園にある。水城公園とは忍城の外堀と忍沼の跡地を公園としたもの。

 忍沼川の源流
(1)忍沼川の源流 行田市水城公園
 写真は水城公園の東端、佐間天神社の付近。
 忍城は延徳年間(1490年頃)に築城されたとされているが、
 その頃から天神社の付近が、忍沼(忍城の外堀の総称)の
 排水口だった。当時と同じく、忍沼川は今も忍沼の
 跡地(しのぶ池、あおいの池)と繋がっている(注)
 忍沼川には天神社の北側に、八ツ橋(橋面は木製、
 桁は鋼製)が架かっている。
   忍沼川の管理起点
  (2)忍沼川の管理起点(下流から)
   右岸:行田市佐間一丁目、左岸:行田市天満
   (1)から東へ100mの地点。天神橋(県道77号行田蓮田線)の
   上から撮影。天神橋が忍沼川の管理起点である。
   起点付近の忍沼川には昔ながらの素掘りの堀の形態が
   残っている。住宅地の間を縫うように流れる細流である。
   左岸の天満はかつては佐間村に属した。忍沼川の左岸には
   忍城の天満口御門跡の碑が建っている。

 古い取水堰
(3)古い取水堰(上流から)
 
左岸:行田市向町、右岸:行田市佐間一丁目
 (2)から100m下流。高源寺の付近には
古い取水堰
 ポンプ小屋が残っている。左岸には
耕地整理記念碑
 建っていて、昭和9年(1934)に、この付近で面積24haの
 耕地整理が実施されたことが記されている。しかしその後
 宅地化が進行したため、現在は耕地はない。

   
産業道路の付近
  (4)産業道路の付近(上流から)
   左岸:行田市緑町、右岸:行田市佐間二丁目
   (3)から300m下流。川幅は約5m、通水断面は台形となる。
   両岸には住宅地が立ち並ぶ。産業道路(県道66号行田
   東松山線)の上流側には、水位調整堰(鋼製スルースゲートを
   2門装備)が設けられている。産業道路の下流にも
   古い堰(ゲート2門、角落し)が残っている。

 行田中学校の付近
(5)行田中学校の付近(上流から)
 左岸:行田市緑町、右岸:行田市佐間三丁目
 (4)から500m下流。カベナント教会の付近から通水断面は
 長方形に変わる。ガードレールだけでなく、高い防護柵で
 囲まれている。ここにも水位調整堰(転倒ゲート1門)が
 設けられている。

   
忍沼川の終点
  (6)忍沼川の終点(左岸から)
   左岸:行田市佐間、右岸:行田市佐間三丁目
   (5)から150m下流。行田中学校の東側で忍沼川は忍川の
   右岸へ合流する(カルバートを介した自然合流)。
   忍川の100m上流には聖天木橋が架かっている。
   旧忍川、武蔵水路に架かる橋の名前も聖天木橋である。

(注)武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の
 埼玉郡成田町(13巻、p.176)に当時の忍川、忍沼、忍沼川の関係が
 記されている。なお、成田町とは現在の行田市の中心部付近を指す。
 ”上忍川支水:持田村より分れ来りて皿尾村の界を東流し本町矢場に
  至りてなお数派に分流つ旧城跡を曲折環流し大沼に注ぎ
  下流は南北二水となる その本流南するものは大沼尻より佐間村に入る
  長13町35間単に佐間村を過ぎて下忍川に入る〜以下略”


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