槻川 (腰越堰から青山堰)  槻川のページ一覧

 撮影地:埼玉県比企郡小川町

 腰越堰の付近
(1)腰越堰の付近(右岸から) 小川町腰越1156付近
 切通橋(県道11号線、秩父往還)から300m下流に
 位置するのが腰越堰。左岸へ農業用水を取水している。
 堰の形式は荒川水系の古い堰に顕著な
斜め堰(河道に
 対して斜めに配置した固定堰)。腰越堰は元来は
 石積みだったようだが、現在はコンクリートで
 改築されている。腰越堰の下流右岸には
 改築記念碑(昭和50年建立)がある。
 碑文には明治44年に腰越用水路普通水利組合が
 発足したことなどが記されている。
   槻川の流れ橋
  (2)槻川の流れ橋(上流から) 小川町腰越
   写真(1)から300m下流。ここまでの区間、右岸には内出沢、
   明登沢、天久川が合流している。どれも土石流危険渓流だ。
   天久川沿いには東秩父村方面へ向かう林道 天久線がある。
   槻川の左岸側は元来は畑地だったが、耕作者が高齢化したために、
   耕作を止めて以来、一面にクルミの木が自生してしまったそうだ。
   この付近では槻川は浅瀬なので、河川敷には写真のような
   
木製の流れ橋が架けられている。形式は板橋で4スパン、
   橋脚は鋼製だが、橋面から河床までの高さは約1mと低い。
   この橋の上下流200mにも、これと同形式の流れ橋が存在する。

 館川の合流
(3)館川の合流(上流から)  小川町腰越
 写真(2)から100m下流。右岸へ
館川(写真右端)が
 合流する。館川は碑原峠付近を源流とする延長約4Kmの
 一級河川。砂防指定河川であり、上流には館川ダムが
 設けられている。館川と槻川の源流はほぼ同じ付近だが
 堂平山と笠山が館川と槻川の分水界となっている。
 ここまで南西へ向かって流れて来た槻川は
 館川の合流後は流路を北東へと大きく変える。

   
矢岸歩道橋の付近
  (4)矢岸歩道橋の付近(上流から)  小川町腰越
   写真(3)から900m下流。県道11号線(写真の左端)の
   木落しバス停の付近に架かるのが
矢岸歩道橋
   現在は歩行者専用だが、この橋の前身は吊橋(東矢岸橋、
   昭和26年竣工)だ。両岸には今も吊橋のタワーが残っている。
   矢岸歩道橋のトラスは柳町橋(槻川、小川町下里、大正12年建設)に
   使われていた物を転用している。矢岸歩道橋の形態には槻川に
   架かっていた2つの橋の歴史が凝縮されている。

 パトリオ小川の付近
(5)パトリオ小川の付近(上流から)
 左岸:小川町腰越、右岸:小川町下古寺
 写真(4)から500m下流、矢岸橋から撮影。槻川の左岸に
 あるのが小川町総合福祉センター、パトリオ小川。
 この付近の河川敷には遊歩道が整備され、親水護岸が
 施されている。槻川の右岸には長竹川(川というより沢に
 近い)が合流している。また、ここから西へ500mの
 山腹には腰越城跡(埼玉県指定史跡)がある(注1)
 三方を槻川に囲まれた(槻川が蛇行しているため)、
 戦国時代の山城(標高216mに位置する)である。

   
青山堰の付近
  (6)青山堰の付近(下流から)
   右岸:小川町青山、左岸:小川町腰越
   写真(5)から400m下流。青山堰の上流右岸へは赤木川が
   合流している。青山堰は右岸の青山用水(農業用水路)へ(注2)
   送水するための堰。上流にある腰越堰と同じく、コンクリ−ト製の
   固定堰だが、青山堰は堰高が4mもあり大きい。右岸には
   青山堰の竣工記念碑(昭和53年建立)があり、碑文には
   明治40年に青山用水普通水利組合が発足したことなどが
   記されている。なお、青山堰の下流100mに架かる
万世橋
   昭和7年(1932)竣工の古いコンクリート桁橋だ。

(注1)腰越城跡の西側には東武鉄道 根古屋線の根古屋駅があった。
  城があった付近や城の下を根古屋と呼ぶのは全国的な傾向のようだ。
  根古屋線は大正15年(1926)9月に石灰岩運搬用の専用線として開通したもので、
  採掘地(城山)かつ最終駅である根古屋駅から槻川駅、大河駅を経由して、
  東上線の小川町駅まで達する延長4.3Kmの鉄道だった。根古屋線を計画したのは
  浅野セメントの創業者、浅野総一郎。城山の石灰岩が枯渇したために、後に採掘地は
  東秩父村皆谷へ移り、そこからは空中索道(一種のロープウェイ)で根古屋駅まで運搬した。
  石炭を採掘し尽くしてしまったために、昭和42年(1967)4月に根古屋線は廃線となった。
  写真(4)から約300m上流の左岸には、県道11号線の山裾に鉱山の関連施設と
  思われるコンクリート基礎と廃屋が3棟寄り添うようにして残っている。
  参考文献:小川町の歴史
 通史編 下巻、p.465-466

(注2)青山用水は槻川の右岸に沿って青山地区を流れる延長約2Kmの農業用水路。
  その起源は古く、江戸時代にまで遡れるという。青山用水の流路には
  根木沢川、広地沢、山際沢などの沢や渓流(水源はどれも仙元山)が合流している。
  青山用水の流末は矢の口川などへ合流し、最終的には再び槻川へ戻る。
  青山地区の総鎮守である氷川神社の前を流れている水路が青山用水である。
  氷川神社の社叢林はヤブツバキやクスノキからなり、小川町指定天然記念物である。
  なお、氷川神社には弘化四年(1847)建立の
芭蕉の句碑もある。
  小川町の町域には芭蕉の句碑が多く、9基(うち2基は他の村へ建立)が
  確認されているという。→小川町の歴史
 通史編 上巻、p.690


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