大橋 (大橋井堰)

 場所:綾瀬川、左岸:埼玉県岩槻市加倉二丁目、右岸:さいたま市宮ヶ谷塔
 形式:RC桁橋(3スパン) 長さ16m(歩測)、幅 8.8m 建設年:昭和6年(1931)

 大橋  ←大橋(下流左岸から)

 県道2号さいたま春日部線(旧国道16号線)が
 綾瀬川を跨ぐ地点に架かる橋。
 江戸時代からの古い歴史を持つ橋である(注)
 現在の橋は大正9年(1920)から昭和5年(1930)にかけて
 埼玉県が実施した綾瀬川の中下流部(原市沼川の合流から
 終点まで)改修(
13河川改修のひとつ)のさいに建設された。
 下流にあった妙見堰の撤去に伴い、木造の旧大橋堰を
 コンクリートで規模拡大したもの。
 橋と堰が一体となった構造であり、上流側には
 大橋井堰が併設され、左岸の大橋井堰用水路へ
 農業用水を送水している。
 堰の部分は新しい形式のゲートの設置に伴い、
 門柱などが大幅に改修されているが、
 橋は下流側の親柱が新造されている以外は
 ほぼ竣工当時からの形態を留めている。
 大橋井堰は綾瀬川に現存する唯一の取水堰である。

 桁と橋脚
↑桁と橋脚
 現在は鋼製の桁の上に床版が置かれて
 いるが、竣工当初は橋脚の上に直に
 床版が置かれていたと思われる。
 何らかの理由で嵩上げが必要になった
 のだろう。欄干はRC製で高さは82cm、
 中柱が連続した素朴な意匠。

   親柱
  ↑親柱(上流側)
   親柱は一辺が52cmの角柱で高さは120cm。
   コンクリートの打ち放しではなく、表面には
   擬石調の化粧が施されている。
   当初は金属製の銘板が付けられていたようで、
   その痕跡が残っている。

(注)武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の埼玉郡加倉村(11巻、p.356)に大橋の記述がある。
 ”大橋:旧日光御成道に属す
 村の坤の方八丁五十間 綾瀬川の中流に架す
  本村より宮ヶ谷塔村に通す 長十間幅三間三尺 土造”
 土橋(木製の橋で橋面に土を盛って舗装)だが、長さが十間(約18m)、
 幅は三間三尺(約6.3m)あるので、規模は現在とさほど変わらない。
 当時の架橋水準からすれば、まさに大橋だったのだろう。
 江戸時代には徳川将軍が日光参拝のさいに通ったことから、御成橋(おなりばし)とも
 呼ばれていた。綾瀬川は江戸時代から舟運が盛んだったが、明治以降も急激に
 衰退することはなかったようだ。大正時代末期には大橋の下流には、
 蒸気船[綾瀬丸]の発着所も設置された。


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