酒巻導水路の古レール・アーチ橋
形式:鋼アーチ橋(古レール使用、上路式、1スパン、欠円アーチ:4分円)
埼玉県がおこなった元荒川
支派川改修事業によって、酒巻導水路の下流部(上星川の分水口から
終点の忍川まで)には、9基の橋梁が建設された。それらは昭和7年から昭和8年にかけて
架けられたものだが、そのうちの3基は全国的にも珍しい、鉄道の古レールを再利用したアーチ橋である。
埼玉県作成の酒巻導水路施設引継ぎ書(元荒川上流土地改良区所有)には、これらの橋の形式は、
橋主桁 古軌条造、行桁ニ通、一径間。床版方塊造。床版、駒止、橋台、鉄筋混凝土 と記されている。
古軌条は古レール、駒止は地覆(じぶく:縁石の一種)、混凝土はコンクリートである。
行桁とはアーチリブのことであろう。古レールは主桁と行桁(アーチリブ)の部材として、
計4本が使われている(梵天橋だけは6本)。どれも磨耗と錆が激しく、刻印は確認できないが、
忍川や元荒川の橋よりもレールの断面は大きい。3橋ともアーチの脚部は、
鋼製の受け台(29cm×21cm、高さ9cm)を介して、橋台に取り付けられている。
(注)本ページの画像は、Nikon COOLPIX 995 (334万画素)で撮影しました。
梵天橋 (ぼんてん、下流から) 場所:行田市谷郷 建設:昭和7年(1932)11月竣功(同年9月着手) 規模:橋長10.0m、有効幅2.55m 国道125号行田バイパスの北50mに位置する。 この橋の上流700mにある御嶽橋は、昭和7年の建設時は、 木造の桁橋であった。(現在は鋼桁橋に架け替えられている) また上流200m、階段堰に隣接する谷脇橋は、建設時は、 コンクリートの桁橋であった。(現橋は1981年に架け替え) このように橋の形式は不揃いであった。理由は不明。 本橋は下流にある2橋に比べて幅員があるため、 主桁の本数は3本。(下流の2橋は2本) 周辺には車幅1.5mの規制標識が設けられている。 |
八ッ島橋 (上流から) 場所:行田市長野 建設:昭和7年(1932)12月竣功(同年10月着手) 規模:橋長10.0m、有効幅1.85m 梵天橋の下流150m、 国道125号行田バイパスの南100mに位置する。 八ッ島とは、この周辺の小字名だそうである。 このカットは上流50mにある八ッ島掛樋(昭和9年竣功)の 上から撮影(^^;)怖かったよぉ、橋じゃないもん。 なんと、下流200mにも掛樋、赤堀掛樋(昭和9年竣功)がある。 こちらは橋梁を兼ねている。ほっ これらのアーチ橋は、ほぼ建設当時の形態をとどめている。 (欄干が取り付けられ、床版は打ち直されているようだが) |
赤堀橋 (左岸上流から) 場所:左岸:行田市桜町2丁目、右岸:行田市谷郷2丁目 建設:昭和7年(1932)12月竣功(同年10月着手) 規模:橋長10.0m、有効幅1.85m 八ッ島橋の下流500m、 行田進修館高校と長野中学校の西側に位置する。 橋の周辺は閑静な住宅地であり、利用者(車?)も多い。 酒巻導水路は、この地点から400m下流で玉野用水路を分岐し、 800m下流で忍川に合流して終点となる。 これらのアーチ橋を建設したのは埼玉県で、 管理は行田市がおこなっている。 酒巻導水路の管理は、元荒川上流土地改良区である。 |