古レールの刻印

 鉄道のレールには、製造会社や規格を示す刻印(ロールマーク、陽刻)がしるされている。
 今回調査した古レールのアーチ橋17基(酒巻導水路3、忍川7、元荒川3、野通川4)のうち、
 11基で刻印が判読できた。複数の種類の古レールが使われているアーチ橋もあり、
 笹原橋渋井橋(元荒川)には2社、3147号橋(野通川)には、3社以上のレールが使われている。
 レールの製造年は、1885年から1922年であり、製造元は8社に及ぶ:ドイツ1(ウニオン)、
 英国2(バーロー、キャンメル)、米国4(スチールトン、カーネギー、メリーランド、カンブリア)、
 日本1(八幡製鉄所)。発注者名(レールの最初の使用者とみなしてよいだろう)まで
 記されているのは、ウニオン(N.T.K.)、カーネギー(官営の鉄道)、八幡製鉄所(官営の鉄道)である。
 官営の鉄道とは、鉄道局または鉄道院の管理下にあった鉄道路線のこと。
 これらのレールのうち、ウニオン(1885)とメリーランド(1917)は、歴史的史料として非常に貴重なものである。

 八幡製鉄所が国産レールの製造を開始したのは、1901年(明治34年)であり、1906年(明治39年)に
 鉄道国有法が公布された頃から、主要路線のレールはそれまでの外国製から国産へと
 切り替えられていったようである。とはいうものの、品質と価格の兼ね合いから、
 外国製のレールは1930年(昭和5年)頃まで輸入されていた。
 また日本国内の工業化、大量輸送への要求に伴い、車輌も大型化し、レールの断面も
 大きくなっていった。この結果、不要となった外国製のレールが全国に大量に出まわることになった。
 これらの古レールは、地方路線で鉄道レールとして再利用されたり、建設用の鋼材に転用された。

 以上は鉄道に使われたレールの動向だが、一方では鉄道用としてではなく、始めから中古鉄材として
 輸入された古レールの存在も無視できない。例えば、後に日本鋼管の社長に就任する林甚之丞は、
 1920年頃まで古レールの輸入斡旋業を行なっていた。1923年には、日本レール株式会社を設立している。
 (林甚之丞→http://www.hakodate.or.jp/kumaishi/information/history/22.html)
 古レールで発注者名が無い物の大半は、中古の輸入レールだったのではないかと、私は推測している。

 なお、驚くことに昭和26814日の閣議では、国策としての古レールの輸入が了解されている。
 これは、石炭の増産を確保するための諸対策の一環として、坑枠用に古レールを輸入する計画であり、
 (輸入目的の詳細は不明だが、おそらく炭鉱内の坑道の支保工やトロッコの軌道として利用するためであろう)
 そのための外資資金の割当も検討された。(→国会図書館 法令議会資料室

各レールの断面寸法 (単位はmm) 巻尺!でエイッと測ったので、全然、正確ではない(笑)

 メリーランド_   ウニオン キャンメル スチールトン カーネギー メリーランド カンブリア 八幡製鉄所 酒巻導水路
A 58 57 57 57 57 58 58 60
B 102 100 109 106 108 110 108 109
C 32 25 28 26 30 30 30 33
D 54 54 59 63 68 75 66 70
E 104 97 105 100 121 120 113 122

(注)ウニオン、キャンメル、スチールトン、カーネギーは、おおむね、ASCE(アメリカ土木学会)の
  レール規格(1900年頃、日本でも使われた)で、60ポンドレール(1m当たりのレールの重さ)に
  相当するようだ。当時の輸入レールの断面寸法は製造会社によって、まちまちである。
  メリーランドはIIIAと呼ばれる背の高い67.5ポンドレールである(ロシアの東支鉄道向けの規格)。
  カンブリアと酒巻導水路も断面形状から、67.5ポンドレールの可能性が高い。
  八幡製鉄所は75ポンドレールである(刻印に記されている)。
  なお、建設用の鋼材と比較すると、レールの断面形状は、I形鋼(テーパ付きのH形鋼)に近い。


ウニオン - 3147号橋(野通川)

 ウニオン
 UNION D 1885 N.T.K.
 UNION:ドイツのウニオン社。Dはドルトムントの略だそうだ
 1885:1885年製造
 N.T.K.:発注者名。発注年から日本鉄道(現.JR高崎線、東北線、等)だと思われる
 ↑同じ刻印のレールが、JR八高線の長瀬陸橋(埼玉県入間郡毛呂山町)でも見られる。

(補足)鉄道の黎明期、レールは輸入品(イギリス製が独占)に頼っていた。
  ウニオンは日本で最初の非イギリス製の輸入レール。
  1885年から官鉄で使われ始め、日本鉄道へも回されたという。
  このレールは、それを裏付ける貴重な存在である。
  余談だが、明治時代を代表する煉瓦建築である法務省旧本館(1895年竣工)には、
  碇聯鉄構法(ていれんてつ:床下の煉瓦壁の中に防火と構造補強を
  目的とした鋼材を埋め込む工法)が用いられている。
  その鋼材には、UNION D
 1885 IRJの刻印があるという
  (→赤れんが・迎賓館・議事堂 小物語、近代建築物語を伝える会、アーキプラン、1994、p.21)

バーロウ - 3147号橋(野通川)

 パーロウ
 ??RROW STE???
 ??RROW STE???:英国のパーロウ・スチール社(BARROW STEEL)

キャンメル - 第二菅谷橋 (画像は反時計方向へ180度回転してある)

 キャンメル(その1)  キャンメル(その2)
 CAMME?? (判読不明部分) SEC131  ?は判読不明文字
 CAMME??:英国のキャンメル社(CAMMELL)
 SEC131:セクションナンバー。断面形状を管理した番号、60ポンド(約30Kg)レールの断面に相当
 (補足)刻印の書式から、この古レールは1890年前後に製造されたものだと思われる。
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 CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED  - 3147号橋(野通川)

スチールトン - 樋上水管橋

 スチールトン
 60-A.S B.S.CO.  STEELTON IIIIIIII 1920 O.H
 ↑同じ刻印のレールが、秩父鉄道の忍川橋梁見沼代用水橋梁(行田市、ただし補助レール)、
  
若宮橋(高麗川、坂戸市、冠水橋)でも見られる

 60:1ヤード当りの単位重量(ポンド表示)
 B.S.CO. :ベスレへムスチール (Bethlehem Steel) 系の略
 STEELTON:米国のスチールトン社
 IIIIIIII:8月に製造
 1920:1920年製造
 O.H:Open Hearth(平炉)の略。平炉製鋼法(Bethlehemは1907年から開始)で製造。
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 60-AS BSCO STEELTON IIIIII 1922 OH 工 - CONSTECO - MADE IN USA - 渋井橋
 このレールには工部省の工はあるのだが、残念なことに南満州鉄道のマークは刻まれていない。

カーネギー - 樋上1号樋上2号堤根1号 (画像は反時計方向へ145度回転してある)

 カーネギー
 CARNEGIE 1907 E T IIIIIIIIII − I R J
 CARNEGIE:米国のカーネギー社(鉄鋼王カーネギーが創設した会社)
           1901年、モルガンの組織した企業連合に売却され、後にUSスチールとなる。
           ニューヨークのカーネギーホールは、カーネギーの寄付金をもとに1898年に改築されたもの。
 1907:1907年製造
 ET:エドガー トムソン工場製(ペンシルヴェニア州ブラドック、1875年創業)
    工場名はペンシルヴェニア鉄道の会長 J. Edgar Thomsonの名を拝借したそうだ。(カーネギーは30才迄この鉄道に勤務していた)
   →
EDGAR THOMSON STEEL WORKS(http://15122.com/3Rivers/History/BraddocksField/EdgarThomson.htm)
 I R J:発注者名を表す記号。I R J とは官営の鉄道(鉄道局、鉄道院。現在のJR)

メリーランド - 前屋敷橋

 メリーランド
 ?79 BSCO 穴RYLAND ???II 1917 ????IIIA 67 LBS  ?は判読不明文字
 BSCO :ベスレへムスチール (Bethlehem Steel) 系の略
 穴RYLAND:米国のメリーランド社(MARYLAND)
 1917:1917年に製造。ロシア革命勃発の年!
 ????IIIA:TYPE IIIA(ロシアの東支鉄道向けの規格。のメリーランドを参照)
 67 LBS:1ヤード当りの単位重量(ポンド表示)

メリーランド - 笹原橋 (画像は反時計方向へ177度回転してある)

 メリーランド
 179 BSCO MA穴LAND IIIIIIIII 1917 TYPE IIIA 67 LBS  紺の文字が画像の部分
 1917:1917年に製造
 TYPE IIIA:ロシアの東支鉄道向けの規格(67.5ポンドレール、ロシアで使われたかどうかは不明)
 (補足)東支鉄道(とうし)とは、旧.東清鉄道のこと。
   ロシア革命後は、中国とソ連の共同経営となった。
   南満州鉄道(いわゆる満鉄)に対して、北満鉄道とも呼ばれた。
   日本で発見される東支鉄道向けの古レールは、何故か1917年製造の
   米国製ばかりだそうである。植民地市場を狙った製品なのだろうか。
   それらは史料(歴史の生き証人)としても貴重なものである。
   近代化遺産や産業遺産としての価値は、いうまでもない。
   なお、
古レールのページによると、西武池袋線所沢駅のホーム上屋は、
   67.5ポンドレールの宝庫だそうである。

カンブリア - 小谷橋 (画像は反時計方向へ180度回転してある)

 カンブリア   CAMBRIA 〜以下判読不明〜

  CAMBRIA:米国のカンブリア・アイアン社。
         (ベスレヘム・スチール系の製鉄所)

  このレールは塗装が厚く、塗りにムラがあるので、
  刻印の判読が困難である。
  レールの断面形状は背が高く、67.5ポンドレールである可能性が高い。
  (であるとすれば、1917年製造の東支鉄道向けか?)

八幡製鉄所 - 笹原橋 (画像は反時計方向へ170度回転してある)

 八幡製鉄所  裏面
 (丸にS) 75 A 1916 IX   裏面には
 (丸にS):官営八幡製鉄所
 75:1m当りの単位重量(ポンド表示)
 1916:1916年製造
 IX:9月(ローマ数字で表記した製造月)
 工:発注者名を表す記号で、官営の鉄道(鉄道院。現在のJR)、起源は工部省の工という説も。
 (補足)大量輸送への要求に伴う、レールの耐荷重の強化と重量化は、
   1906年の75ASCE採用(75ポンドのレール規格)から始まったと云われている。
    ↓の八幡製鉄のレールは、75ASCEが採用された翌年のものである。
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 (丸にS) NO 75 A 1907 XII - 3145号橋(野通川)
 (丸にS) 60 A 1916 XII - 渋井橋藤岡水位流量観測所(渡良瀬川、栃木県下都賀郡藤岡町)
 (丸にS) 以下不明 - 通り前橋(潜水橋、谷田川、群馬県邑楽郡板倉町)

 (参考文献)日本における鉄道用レールの変遷、日本土木史研究発表会論文集 Vol 3、1983、西野 保行,小西 純一,淵上 龍雄
 
(注)各レールの記述は、古レールのページ(http://homepage1.nifty.com/arashi/)を参考にさせていただきました。


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