古レールのアーチ橋

 撮影地:酒巻導水路、忍川(おしかわ)、元荒川(もとあらかわ)、野通川(やどおりがわ)
      埼玉県行田市(ぎょうだ)、北足立郡吹上町(ふきあげ)、鴻巣市(こうのす)、北埼玉郡川里町(かわさと)

 埼玉県では、大正8年〜昭和12年にかけて、元荒川と支派川の県営改修事業がおこなわれた。
 この事業は、湛水被害を減らすこと(治水)と農業用水の不足を解消させること(利水)を基本方針としていた。
 埼玉県の北部では、具体的には以下の工事がおこなわれている(昭和8年頃に完了)
 ◆かんがい・排水路の整備
   行田市:酒巻導水路(農業用水路)の開削、忍沼、小針沼周辺の排水路整備
   川里町:野通川の改修、屈巣沼(くす)周辺の排水路整備
 ◆忍川の開削
   それまで見沼代用水(星川)に合流していた忍川を、元荒川に付け替えるために新・忍川を開削
 ◆元荒川の改修
   吹上町、鴻巣市:河川断面を拡大させるための浚渫(しゅんせつ)、蛇行の直線化

 これらの工事に関連して、秀逸なデザインの橋や水門が数多く建設されたが、不思議なことに、
 鉄道の古レールを再利用したアーチ橋も20基以上が架けられている。 → アーチ橋の分布図
 ほとんどが一級河川に架かる道路橋であるが、特に忍川と元荒川に分布する3連のアーチ橋8基は、
 全国的にも非常に珍しい存在である。国の重要文化財に匹敵する価値を持つ一級品の土木構造物だ。

 考察:古レールアーチ橋の特徴][古レールの刻印][同時期の橋梁の意匠

 
(追補)これらのアーチ橋梁群は土木学会が選定した[日本の近代土木遺産]ではAランクに評価された。
 → 日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。

樋上のアーチ橋群
↑忍川の古レールアーチ橋
 手前から、樋上水管橋、
 樋上1号橋、2号橋。
 忍川の下流部2Kmの区間
 には8つの橋が架けられて
 いるが、6基が古レールを
 使ったアーチ橋である。
 残る2基は、
ラーメン橋台橋
河川名 橋梁名 所在地 建設年 長さ、幅 アーチ 古レール 横桁 レールの刻印
酒巻
導水路
梵天橋 行田市谷郷 昭和7年(1932) 10.0、2.5 1連(3) 主,ア    
八ッ島橋 行田市長野 10.0、1.8 1連(2)    
赤堀橋 行田市谷郷 10.0、1.8    
忍川 第2菅谷橋 行田市菅谷 不明 10.1、2.5 1連(3) 主,ア キャンメル(英、?)
樋上水管橋 行田市樋上 不明 14.5、0.8 1連(2) 主,ア   スチールトン(米、1920)
樋上1号  〃  昭和8年(1933) 15.5、2.5 3連(3) 主,ア,縦   カーネギー(米、1907)
樋上2号  〃 15.6、2.7  〃
堤根1号 行田市堤根 16.4、2.8  〃
堤根2号   〃 15.9、3.0  
前屋敷橋 吹上町袋 不明 16.4、3.0 3連(4)   メリーランド(米、1917)
元荒川 小谷橋 吹上町前砂 昭和7年(1932) 19.8、2.6 3連(3) 主,ア カンブリア(米、?)
笹原橋 鴻巣市三ツ木 21.2、3.0 八幡製鉄所(日、1916)
メリーランド(米、1917)
渋井橋 鴻巣市寺谷
川里町屈巣
28.3、6.1 3連(4) 主,ア,縦   八幡製鉄所(日、1916)
スチールトン(米、1922)
野通川 2188号橋 川里町北根 不明 10.5、1.9 1連(2) 主,ア    
2119号橋 川里町広田 10.5、2.7 1連(3)  
3145号橋 川里町上会下 10.5、2.6 八幡製鉄所(日、1907)
3147号橋  〃 10.5、2.5 主,ア,縦 ウニオン(独、1885)
バーロー、キャンメル

(注) 橋梁の諸元
 橋梁名、建設年: 市町村の橋梁台帳による。*は無名橋なので仮称
 長さ、幅: (m)、長さは筆者の歩測、幅は欄干部を除いた車道の幅(車輌の通行できる幅員)
 アーチ: 連数(主桁・主構の本数 )
 古レール: 古レールが使われている部位。主:主桁、ア:アーチリブ、縦:縦桁
 横桁: ○は、アーチリブ間に補剛用の横桁(L字形鋼)があるもの
 レールの刻印: 製造会社の刻印が確認できたもの。会社名(国名、製造年)

(補足-1) 鉄道の古レール
 昔は鉄は貴重品だったので、不要となった鉄道橋の鋼桁や線路のレールは
 廃棄することなく、再利用された。鉄道施設の周辺では、よく見ると古レールを
 使った建造物が多いそうである。駅構内ホームの上屋、線路脇の柵、
 跨線橋(人が線路を横断するための橋)などである。古レールを再利用して
 建造された大規模な跨線橋としては、以下のものが著名である。
 飛鳥山下跨線人道橋(東京都、大正14年)、白金桟道橋(東京都、大正15年)、東十条北口跨線橋(東京都、昭和6年)
 埼玉県内にも小規模だが、古レールで作られた跨線橋が存在する。
 例えば、
長瀬陸橋(JR八高線、毛呂山町長瀬)、名称不明(東武東上線、小川町下里)などである。
 両橋の形式は3スパンの方杖ラーメン橋。長瀬陸橋では、UNION
 D 1886 N.T.K.の刻印が確認できる。 

 余談だが、吹上町郷土資料館には、JR高崎線の吹上駅で使われていた外国製のレールが展示されている。
 BARROW
 STEEL 1882(パーロウ、英、1882年製)、
 CAMMELL
 1884 IRJ(キャンメル、英、1884年製、発注者は鉄道局)、
 UNION
 D 1887 N.T.K. (ウニオン、独、1887年製、発注者は日本鉄道。現在のJR高崎線?)
 また、深谷市にある
福川鉄橋(日本煉瓦製造の専用線跡)のレールでは、
 SJC - 92 - KTK - 1894(コッケリル、ベルギー、1894年製、発注者は甲武鉄道?) の刻印が確認できる。
 変わったところでは、冠水橋の
若宮橋(高麗川、坂戸市、1955年建設)の主桁には、
 60-A.S
 B.S.CO. STEELTON 1920 O.H(スチールトン、米、1920年製)のレールが使われている。

(補足-2) 時代背景
 古レールのアーチ橋が建設された時期は、世界恐慌の影響を受け、日本は昭和恐慌の時代である。
 特に農村の不況は深刻で、国は内務省、農林省を中心とした公共投資政策を推し進めた。
 埼玉県でも昭和6〜9年にかけて、失業救済事業や救農土木事業が展開された。
 例えば、国道17号改良工事(大宮〜熊谷間) 昭和6年:失業救済事業、昭和7年:農村振興事業、
 昭和8年:時局匡救事業などである。元荒川の改修工事や忍川の開削工事で
 発生した大量の残土は、国道17号線工事の盛土に流用されたという。
 一方、昭和6年の満州事変、昭和7年の5.15事件、昭和8年の国際連盟を脱退と、
 日本は国際的孤立に立たされ、戦時体制へ突入していった時代でもある。
 なお、昭和12年10月には鉄鋼工作物築造許可規則が公布され、軍需用以外の建築物や
 土木構造物への鉄鋼使用が統制化された。50トン以上の鉄鋼を使う大規模な建築工事は
 事実上禁止となったが、この統制は昭和17年12月にさらに強化され、
 鉄鋼を使った建造物は原則的に築造禁止となった。

参考資料:
 ◇
埼玉県史 通史2、埼玉県  ◇ 中川水系 人文 総合調査報告書2、埼玉県、1993
 ◇
吹上町史、吹上町、1980  ◇ 下忍村史、稲村担元・韮塚一三郎、1951
 ◇
橋梁台帳、行田市 川里町  ◇ 元荒川支派川改修概要、元荒川支派川普通水利組合、1937
 ◇
酒巻導水路 施設引継書、元荒川上流土地改良区  ◇ 古レールのページ(http://homepage1.nifty.com/arashi/)
 ◇
古レールを使用した忍川橋梁群に関する考察、渡辺明子,伊藤學,窪田陽一、土木史研究 第16号、土木学会、1996


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