隅田川の橋 (その1) (その2) (その3) (その4)
隅田川は延長23Kmの荒川水系の一級河川。荒川の派川であり、北区の赤水門(岩淵水門)付近で
荒川から分流して、途中で新河岸川、神田川、小名木川などを合流し、最終的に東京湾に注ぐ。
関東大震災後の復興事業で建設された多彩な形式の歴史的橋梁群に加え、新しい橋も数多く架けられている。
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←言問橋 (こととい:下流から) 国道6号、左岸:墨田区向島1丁目 、右岸:台東区花川戸2丁目 上路式鋼桁橋(PG、3径間) 長さ 238.66m 建設:昭和3年(1928) 設計:岩切良助 製作:横河橋梁製作所(現.横河ブリッジ) 橋名の言問とは、在原業平の伊勢物語での一節、 東下りの歌に由来するという。 隅田川の両岸には広大な隅田公園が整備されているが、 言問橋のアプローチ部分には、隅田公園を跨ぐ鋼桁と コンクリート橋が増築されている。 橋台と橋脚の表面には、石を貼った装飾が施されている。 言問橋は戦前に架けられた鋼PG(プレートガーダー)橋では、 最長のスパンを誇る。 しかも桁の構造は、ゲルバーはりである→文献1、p.83 |
東武伊勢崎線
隅田川橋梁 (上流から)→ 左岸:墨田区向島1丁目 、右岸:台東区花川戸1丁目 中路カンチレバーワーレントラス(3径間) 全長 166.116m 製作:横河橋梁製作所 建設:昭和6年(1931) 東武伊勢崎線の浅草駅と業平橋駅の間に位置する。 花川戸線の開通に合わせて架橋、花川戸橋梁とも呼ばれる。 東武伊勢崎線は大きくカーブして、右岸(写真右側)にある 松屋(デパート)に突入する(笑)。 隅田川橋梁の形式は中路式であるが、これは桁下高を 充分確保するために採用されたのだろう。 トラスの部材はガゼット結合、RC橋脚は中央に 大きな開口部を持ったラーメン形式である。 なお、架橋年は文献1、p.83では昭和4年(1929)だが、 東武鉄道100年史、p.229には昭和6年(1931)と記されている。 |
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←吾妻橋 (あづま:下流から) 雷門通、左岸:墨田区吾妻橋1丁目、右岸:台東区雷門2丁目 上路式鋼アーチ(3径間) 長さ 150.114m 建設:昭和6年(1931) 設計?:横河橋梁製作所(現.横河ブリッジ) 安永3年(1774)に町民によって架けられた賃取り橋、 大川橋が起源。その後、明治9年(1876)に木橋の吾妻橋、 明治20年には錬鉄製の吾妻橋(プラットトラス、3径間)架けられた。 これは隅田川で最初の鉄橋だという。→文献2、p.44 吾妻橋のアーチ形式は2ヒンジのソリッドリブ。 橋脚は角張ったデザインだが、アーチリブの支承部付近は 丸みを帯びている。現在は両脇にアプローチとして、 鋼桁橋が増設されている。増設された橋燈も凝ったデザインである。 右岸上流の墨田公園は、屋形船や水上バス(日の出桟橋行き)の 発着所としても有名。橋の周囲には屋形船が数多く繋留されている。 |
文献1:日本の近代土木遺産、土木学会、丸善、2001
文献2:日本の橋、日本橋梁建設協会、朝倉書店、1994
文献3:日本の土木遺産 - 日本文化の象徴・近代化遺産を訪ねて、石井一郎、森北出版、1996
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