丸墓山古墳からの展望
丸墓山古墳の山頂から、北西方向(行田市の市街地)への展望。 山頂の標高は約36m(注)とさほど高くはないが、周囲の平地には 水田が広がり、高い建物もないことから眺望は素晴らしい。 写真の左端から行田中学校、行田市環境処理センター(下水処理場)、 行田養護学校、右端が行田警察署。 下水処理場と行田養護学校の間(写真中央)には、復元された忍城が見える。 400年以上も前には、上杉謙信と石田三成も、この風景を眺めている。 上杉謙信は忍城下に火を放った後に、その様子を丸墓山古墳の上から眺めた。 石田三成は忍城水攻めのさいに、本陣を丸墓山古墳の山頂に築き、 石田堤(水攻めのための堤防)の工事進捗や忍城の様子をうかがっている。 ただし、忍城は丸墓山古墳からだと2.5Km北西に立地するので、 肉眼では存在がやっと確認できる程度だ。望遠鏡がないと様子はわからない。 その頃とは較べ様もないほど周囲は変貌している。 当時から変わっていないのは、写真の右端から中央へ流れる忍川だけだろう。 写真の中央を大きく蛇行する旧忍川(現在は廃川)は、江戸時代に開削された。 荒川と利根川に囲まれたこの地域は、以前は沼地があちこちに分布する低湿地だった。 南西(写真左側)5Kmに荒川、3Kmに元荒川、北東(右側)2Kmに星川(見沼代用水)、 6Kmには利根川が流れている。写真の上部を左右に横断するのは武蔵水路、 利根川の水を荒川に送水している。武蔵水路の西側には並行して忍川も流れる。 忍川の下流部(行田中学校付近から終点まで)は、昭和初期に実施された元荒川の 改修事業で、新たに開削されたもの。それまで旧忍川は星川に合流していた。 現在、忍川は吹上町袋で元荒川に合流するが、その周辺には同事業のさいに 建設された3連アーチの橋(鉄道の古レールを再利用)が数多く存在する。 また旧忍川の下流部には、明治時代に建設された煉瓦造りの水門も存在する。→弁天門樋、小針落伏越 これらは全国的にも珍しい貴重な近代化遺産である。 (追補)これらの構造物は、土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。 →日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。 (注)丸墓山古墳の山頂には排水溝の蓋のようなコンクリートがあるが、この中には 二等三角点[埼玉]が設置されている。正確な標高は35.69mである。 |