さきたま風土記の丘
さきたま風土記の丘 公園内を県道77号行田蓮田線が 縦貫する。写真左は、はにわの館 |
広大な駐車場 県道77号線の北側にあるメインの駐車場。 奥に見える針葉樹林はメタセコイヤ。 その中には埼玉村出身の歌人、濱(はま) 梨花枝の歌碑(昭和58年建立)がある。(注) この駐車場の西側では工事が行なわれて いるので、駐車場の規模はさらに拡張 されるようだ。意外に知られていないのだが、 さきたま古墳群には将軍山古墳と 二子山古墳の間にも大きな駐車場がある。 そんなに駐車場ばかり造成してもねえ... |
さきたま資料館へ続く径 爽やかなケヤキの並木が続く。 さきたま風土記の丘の中には、 古墳群からの出土品を陳列した県立の 資料館(さきたま資料館)もある。 写真の左端に見える、はにわの形をしたものは、 さきたま資料館の掲示板である。 |
移築民家 (幸手市千塚の遠藤家:江戸 時代の豪農の母屋) 資料館の東側にある。 |
散策路 (奥の山古墳の付近) 脇には馬の埴輪が、二頭置かれている。 |
トイレと休憩所 (丸墓山古墳の付近) 左がトイレ、休憩所は東屋風の古風なデザイン |
木の橋 (二子山古墳の付近) 埼玉用水路(農業用水路)に架かっている。 橋の名前は、二子山橋! |
大芝生広場のベンチ (稲荷山古墳の付近) さきたま風土記の丘は、広大なので、 随所にベンチや休憩所が設けられている。 |
(注)濱(はま)梨花枝は与謝野晶子の門下生にもなった歌人である。
歌碑には、東方より光は射すと王の柩 現れて輝る一ふりの剣
という歌が刻まれている。稲荷山古墳の鉄剣を詠んだものである。
濱は大正元年(1912)に、埼玉村(さきたま)の湯本家に生れた。
湯本家は小埼沼一帯の土地を所有する大地主だった。
この家系からは明治期に埼玉県議会議員や岐阜県知事を歴任した、
湯本義憲も輩出している。前玉神社には湯本義憲の顕彰碑が建てられている。