小埼沼 (おさきぬま) 埼玉県指定旧跡
場所:埼玉県行田市埼玉
さきたま古墳群から東へ2.5Km、川里町との境界付近に小埼沼は位置します。
小埼沼の北500mには旧忍川が流れ、あたり一面には水田が広がっています。
しかし、かつてこの周辺は沼の多い湿地で、旧忍川の対岸には昭和50年代まで、
小針沼(別名:埼玉沼)と呼ばれる広大な沼が存在しました。(現在は古代蓮の里)
また、川里町にも屈巣沼(現在は鴻巣カントリークラブというゴルフ場)がありました。
古墳時代の頃には小埼沼の周辺は、東京湾の入り江だったと云われていますが、
今では水も涸れ、沼の面影はまったくありません。古墳時代には旧忍川は
存在していませんから、おそらく小針沼はこの付近まで広がっていて、小埼沼は
小針沼の一部が涸れあがって残った跡なのでしょう。
なお、この付近は風光明媚だったようで、万葉集には小埼沼を詠んだ歌もあります。
一方で小埼沼には、不思議な伝説があります。この付近に住む、おさきという娘が
沼で遊んでいた時に、葦が目に刺さり、それが原因で片方の目が見えなくなってしまったそうです。
その後、沼には片目のドジョウが棲みつき、水辺には片葉の葦が茂るようになってしまったと
言い伝えがあります(武蔵国郡村誌 13巻、p.371)。小埼沼の西側には、片原(地元の人はカタラと
呼んでいます)という地名がありますが、それも片目の伝説と関係があるのでしょうか。
行田市には似たような伝承が他にもあり、例えば埼玉県伝説集成 中(p.401)には
行田市谷郷の春日神社に関して、”春日様は幼少の時、芋の葉で目をつかれ片目を傷つけた。
そのため谷郷の人の片目は細い”と記されています。
伝説は抜きにしても確かに、小埼沼の周辺には神秘的な雰囲気が未だに残っています。
↑小埼沼の遠景 田んぼの中、森のように見える所が小埼沼。 |
↑小埼沼の脇に祀られた祠 [埼玉の神社 入間 北埼玉 秩父、1986]によれば、 宇賀神を祀ったものだという。小埼沼は写真のすぐ右側。 遥か彼方には旧忍川の堤防が見える。 |
↑小埼沼史跡保存碑 大正14年(1925)建立。碑文には、和歌が3首 (藤原定家、橘仲遠、よみ人しらず)刻まれている。 |
↑武蔵小埼沼の碑 宝暦3年(1753)に忍城主、阿部正因に よって建立された。左側面には この地が小埼沼に違いないとの、 講釈が記されている。 というのは、小埼沼の所在地と されるのが、埼玉県には他にも 数箇所あったからだ(注)。 |
↑わずかに残る沼の跡 脇には水神社が祀られている。 ↑弁財天 寛政7年(1795)建立。弁財天も水の神様 武蔵小埼沼の碑の背面には、万葉集に詠われた埼玉に 関する歌2首が万葉仮名(漢字)で刻まれている。 埼玉の津に居る船の風をいたみ 綱は絶ゆとも言な絶えそね 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽根きる 己が尾にふり置ける霜を払ふとにあらし これらの歌は前玉神社の石灯篭(元禄10年(1697)建立)にも 刻まれている。石灯篭は埼玉村の住人が奉納したもの。 埼玉村には学のある人がいたようだ。 なお、小崎沼の脇には天祥神宮が祀られているが、 これは近年に祭祀された。 |
(注)万葉集に詠まれた小埼沼の候補地として、例えば羽生市尾崎(利根川右岸)、
岩槻市尾ヶ崎新田(綾瀬川左岸)が挙げられる。
共に[おさき]または[おざき]と読める地区名である。