第10回 埼玉県の火の見櫓 改訂17版:2012/12/22
火の見櫓をご存知だろうか?。その起源は江戸時代にまで遡るようだが、最近は数が激減している。
埼玉県では今でも、あちこちで火の見櫓を見ることができる。かつて火の見櫓は地域のシンボルであった。
火の見櫓の設置目的は、火事の発見と警鐘だが、それ以外の災害の発生時にも機能した。
半鐘の打ち鳴らし方を変えて、様々な情報を知らせたのである。
半鐘の音は公的な信号であるから、その鳴らし方は恣意的ではなく、周知のパターンが定められていた。
今でもその消防信号表が残っている櫓がある。現在の防災無線とほぼ同じ機能を果たしていたのである。
裏を返せば、防災無線が完備されるにつれ、火の見櫓はその役割を失っていったといえる。
そして多くの火の見櫓が、老朽化して倒壊の危険性が高いので、撤去されている。
わずかに残った火の見櫓は、防災無線の拡声器が取り付けられたり、消防団のホース干しとして
再利用されているが、大半の火の見櫓は朽ち果てたまま、撤去される日を待っている。
火の見櫓の概要:
今残る火の見櫓は、昭和20年頃から昭和30年頃にかけて、消防団や自警団(共に民間の自治防災組織)が
建設した。竣工銘板が付けられた火の見櫓もあり、さらに古い時期(大正時代末期から昭和初期)の
建設を示す例もある。ただし、太平洋戦争中には金属供出があり、火の見櫓はその対象となった可能性が
高いので、銘板だけ残しておいて、後から付け直したのかもしれない。例えば、川越市吉田の火の見櫓は
基礎には[昭和三年十一月建設 御大典記念]とあるが、櫓の部分は昭和27年10月竣工である。
火の見櫓の建設費は地元から寄付金を募って工面したが、個人が寄贈した火の見櫓も存在する。
製作を請け負ったのは、中央の建設業者ではなく、地元の鉄工所(あるいは鍛冶屋)だった。
おそらく理論(構造設計や強度計算)なしで、職人の勘と経験に基づいて建設されたのだろう。
地元の鉄工所が不可能な場合には、近隣の鉄工所に依頼したようであり、上里町帯刀と神川町熊野堂の
火の見櫓には群馬県高崎市の鉄工所、加須市不動岡の火の見櫓には茨城県古河市の鉄工所が
製作したことを示す銘板が残っている。
現存する火の見櫓の基本的な構造は、コンクリート基礎の上に建てられたトラス構造の塔である。
塔の建材は金属製がほとんどだが、コンクリート製や木製の物も存在する。
金属製の場合は大半がアングル(断面がL字型の山型鋼)だが、鋼管が使われている例もある。
基礎の部分は、地面にコンクリートを打って基礎とした方式が一般的だが、消防小屋(器具格納庫)の
上に塔を建てた事例もある。岡部町、大里町、東松山市、吉見町、川島町、小川町などに
遺構を含め10数基が現存する。大里郡と比企郡に偏在しているのが特徴だ。
構造が単純で比較的小さな構造物だが、形態的には屋根や見張り台に装飾的な造形が施され、
細部を見れば、部材の配置、結合方法、鋼材の断面形状にまで個性がある。
まったく同じデザインの火の見櫓は存在しない。
屋根、見張り台の装飾 |
消防小屋の上の火の見櫓 |
銘板 |
消防信号標 |
形態での分類:
火の見櫓を一瞥しただけで、誰でも確認できる形態の特徴は、屋根の有無と脚の本数である。
屋根の有無は脚の本数との関係が深い。脚の本数が減るほど、構造的に屋根は付けにくくなる。
したがって、本ページでは脚の本数による形態の分類を採用した。
4本足、3本足、梯子型に分類できる。足の本数が多いほど、火の見櫓は堅牢となり、規模は大きくなる。
さらに足の本数が同じでも、足の形状(鉛直方向のライン)によって規模が変化する。足の形状が直線ではなく
曲線の場合、概して火の見櫓の規模は大きくなる。基礎の土地占有面積が広がり、火の見櫓の空間は拡大する。
傾向として、規模の大きい火の見櫓には屋根、見張り台、待機台などが装備され、屋根には風見や方位、
ヒゲ飾り、見張り台の手すりには飾りなどが設けられている。つまり、実用性とは関係ない飾りの部位が
増え、装飾性に富んでくる。規模が大きくなるほど、地元の火の見櫓への思い入れも大きくなるということだろうか。
梯子型とは筆者の造語だが、見た目が梯子に似ていることから命名した。古典的な形態であり、
時代劇などで見かける火の見櫓の進化系といえる。梯子に見える部分の本体(登るための梯子を兼ねる)は
2本足なのだが、補助足が設けられているので、実際は3本あるいは4本足である。
補助足は櫓の転倒防止(2本足では自立は困難)が目的だが、人が櫓の頂部に登るための梯子の
機能も兼ねた櫓もある。足に鋼管を用いた事例が多く、その場合は構造上、見張り台の設置は不可能である。
さらに、1本足として、コンクリート杭や電柱等に半鐘がぶら下げてある形態も含めた。
これは火の見櫓の警鐘機能を部分的に果たしているので、本ページではそれらも火の見櫓として計上している。
なお、明らかにホース干しと思われる場合は除外しているが、見張り台が設置されていて、
火の見櫓としての監視機能を有する事例もあるので、判別が困難な場合は不明として扱った。
4本足 |
3本足 |
2本足 |
1本足 |
地域別の分布:
9郡に分けて集計した。平成の大合併によって消滅した市町村は多く、2010年時点で北埼玉郡も
消滅しているが、本ページでは郡名および町村名は調査を開始した時点のものを採用している。
埼玉県における火の見櫓の分布は、地域別に明らかな特徴がある。
埼玉県を荒川を挟んで東西に分けた場合(熊谷市以北は国道17号線とする)、
西側の地域の方が圧倒的に火の見櫓の分布密度が高い。東へ行くほど分布密度は低くなる。
埼玉県全域の調査が完了したわけではないが、南埼玉郡、北葛飾郡は他の郡に比べ現存数は少ない。
郡別の特徴としては、児玉郡は4本足の火の見櫓の比率が高い(約90%)。つまり、大型の火の見櫓が多い。
大里郡は梯子型の比率が約25%と高く(他の郡は数%である)、反面、梯子型を除くと4本足の比率は
約80%と高い。大型と小型、両極端の火の見櫓が分布している。梯子型の比率を高くしているのが、
寄居町だ。火の見櫓の約65%が梯子型であり、他の市町村では見られない特異な分布を示す。
入間郡、比企郡は3本足の火の見櫓の比率が高い。比率を高くしているのは入間郡が川越市、
比企郡が川島町である。川越市は分布数が埼玉県で最も多い。
一方、川島町は火の見櫓の分布密度が埼玉県で最も多い。
約1.2Km2に1基が存在し、1基で約670人の安全を見守っている(2010年度の面積、人口による)
秩父郡の火の見櫓 (確認数 49基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
東秩父村 | 8 | 2 | 5 | 1 | 3本足の比率が高い | |||
長瀞町 | 3 | 3 | 円形の見張台 | |||||
皆野町 | 11 | 3 | 6 | 2 | ||||
秩父市 | 9 | 3 | 5 | 1 | 吉田町、荒川村を含む | |||
小鹿野町 | 16 | 11 | 4 | 1 | 梯子型は木製、両神村を含む | |||
横瀬町 | 2 | 2 | ||||||
計 | 49 | 24 | 15 | 4 | 5 | 1 |
児玉郡の火の見櫓 (確認数 89基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 33本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
本庄市 | 30 | 29 | 1 | 防災無線への転用が多い | ||||
児玉町 | 21 | 18 | 1 | 1 | 1 | 消防信号標付きが多い | ||
上里町 | 16 | 16 | 防災無線への転用が多い | |||||
神川町 | 8 | 6 | 1 | 1 | ||||
美里町 | 14 | 8 | 2 | 3 | 1 | 阿那志の櫓は古墳の上に建つ | ||
計 | 89 | 77 | 1 | 4 | 4 | 3 |
大里郡の火の見櫓 (確認数 113基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
深谷市 | 45 | 22 | 4 | 10 | 5 | 2 | 2 | 竣工銘板付きが多い。新井の櫓は煉瓦基礎 |
岡部町 | 17 | 12 | 1 | 3 | 1 | 山河の櫓は個人が寄付 | ||
花園町 | 6 | 5 | 1 | |||||
川本町 | 1 | 1 | ||||||
寄居町 | 15 | 4 | 1 | 10 | 梯子型の比率が高い | |||
江南町 | 2 | 1 | 1 | |||||
熊谷市 | 9 | 4 | 1 | 2 | 1 | 1 | 梯子型は鋼管の2本足 | |
妻沼町 | 12 | 3 | 2 | 1 | 6 | |||
大里町 | 6 | 4 | 2 | 玉作の櫓は消防小屋(コンクリート製)の上 | ||||
計 | 113 | 55 | 6 | 27 | 8 | 7 | 10 |
比企郡の火の見櫓 (確認数 95基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
東松山市 | 17 | 12 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 岡の2基は他では見られない造形 |
吉見町 | 12 | 10 | 2 | 一ツ木、地頭方の櫓は消防小屋の上に建つ | ||||
川島町 | 34 | 18 | 14 | 1 | 1 | 3本足の形態は川島町固有 | ||
滑川町 | 3 | 1 | 1 | 1 | ||||
嵐山町 | 10 | 1 | 8 | 1 | 3本足の比率が高い | |||
鳩山町 | 3 | 3 | 防災無線への転用 | |||||
小川町 | 9 | 4 | 1 | 2 | 1 | 1 | 腰越の櫓は消防小屋の上に建つ | |
玉川村 | 3 | 3 | ||||||
都幾川村 | 4 | 3 | 1 | |||||
計 | 95 | 55 | 24 | 3 | 1 | 6 | 6 |
入間郡の火の見櫓 (確認数 162基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
川越市 | 56 | 31 | 25 | 現存数が埼玉県で最も多い | ||||
ふじみ野市 | 2 | 2 | ||||||
富士見市 | 6 | 2 | 4 | 3本足の見張り台が三角形 | ||||
三芳町 | 2 | 2 | ||||||
越生町 | 5 | 2 | 3 | |||||
毛呂山町 | 5 | 4 | 1 | |||||
坂戸市 | 12 | 12 | 4本足の比率が高い | |||||
鶴ヶ島市 | 5 | 4 | 1 | |||||
日高市 | 5 | 2 | 1 | 1 | 1 | |||
飯能市 | 3 | 2 | 1 | 赤色に塗装 | ||||
狭山市 | 12 | 3 | 8 | 1 | 梯子型は狭山市固有 | |||
入間市 | 22 | 9 | 10 | 1 | 1 | 1 | ||
所沢市 | 27 | 12 | 9 | 4 | 2 | |||
計 | 162 | 87 | 54 | 13 | 2 | 4 | 2 |
北足立郡の火の見櫓 (確認数 92基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
鴻巣市 | 12 | 9 | 1 | 2 | 市の中心部に2基 | |||
北本市 | 2 | 2 | ||||||
桶川市 | 5 | 3 | 2 | |||||
上尾市 | 26 | 16 | 7 | 2 | 1 | 自警消防団銘の櫓が多い | ||
さいたま市 | 34 | 24 | 5 | 3 | 1 | 1 | 消防信号標付きが多い | |
蕨市 | 2 | 1 | 1 | |||||
志木市 | 2 | 2 | ||||||
朝霞市 | 5 | 2 | 1 | 2 | ||||
和光市 | 4 | 4 | ||||||
計 | 92 | 60 | 13 | 4 | 3 | 2 | 10 |
北埼玉郡の火の見櫓 (確認数 38基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
行田市 | 18 | 11 | 4 | 1 | 2 | 東西南北の警備隊の櫓あり | ||
加須市 | 10 | 10 | 不動岡の櫓には大正10年の銘板 | |||||
羽生市 | 6 | 4 | 1 | 1 | ||||
北埼玉郡、他 | 4 | 2 | 1 | 1 | 騎西町、大利根町、南河原村 | |||
計 | 38 | 27 | 4 | 1 | 2 | 4 |
南埼玉郡の火の見櫓 (確認数 17基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
春日部市 | 4 | 3 | 1 | |||||
蓮田市 | 2 | 2 | ||||||
白岡町 | 4 | 4 | ||||||
菖蒲町 | 2 | 1 | 1 | |||||
八潮市 | 3 | 1 | 2 | |||||
南埼玉郡 | 2 | 1 | 1 | 岩槻市、久喜市 | ||||
計 | 17 | 11 | 2 | 2 | 1 | 1 |
北葛飾郡の火の見櫓 (確認数 20基)
市町村名 | 確認数 | 4本足 | 3本足 | 梯子型 | 半鐘 | 遺構 | 不明 | 備考 |
吉川市 | 7 | 3 | 2 | 1 | 1 | |||
三郷市 | 10 | 2 | 8 | 典型的な櫓型がない | ||||
北葛飾郡 | 3 | 2 | 1 | 幸手市、鷲宮町、庄和町 | ||||
計 | 20 | 7 | 11 | 1 | 1 |
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