小ヶ谷橋梁 (東武鉄道 東上線)

 所在地:埼玉県川越市小ヶ谷(おがや)
 形式:プレートガーダー橋(煉瓦橋台)  建設:大正5年(1916)?

 旧・上小ヶ谷橋梁の橋台
↑旧・上小ヶ谷橋梁の橋台
 東武東上線の霞ヶ関駅と川越市駅の間に位置する跨道橋。
 写真の右100mには、入間川の右岸堤防がある。
 小ヶ谷地区には、大正3年に東上鉄道が池袋から川越まで
 開通した時の終着駅、田面沢駅(たのもさわ)(注)があった。
 大河川を越せないので、暫定的な終着駅を設置という点で
 田面沢駅は
東武伊勢崎線の川俣駅(利根川の右岸付近)と
 非常によく似ている。写真の上小ヶ谷橋梁は大正5年10月の
 川越町から坂戸町間の開通に伴い、
 東上鉄道によって建設されたものだと思われる。
   旧・上小ヶ谷橋梁
  ↑旧・上小ヶ谷橋梁の橋台(上り、川越方向を望む)
   橋台の前後には築堤盛土の跡も現存する。
   これは東上鉄道が入間川を渡るために設けられたものである。
   橋台は煉瓦(
機械成形の跡が確認できる)をイギリス積みで
   組んだもので、天端には
笠石、桁の支承部には2箇所に
   床石が設けられている。旧・上小ヶ谷橋梁の規模は、
   スパン長 7m、桁下高 3.5m程度であったと推測できる。
   現存するのは橋台のみで、桁は撤去されているが、
   床石の間隔が2m程度であることから、使われていた桁の形式は
   上路式プレートガーダー(デックガーダー)であったと思われる。


 もう一基の跨道橋


 ←もう一基の跨道橋
 旧・上小ヶ谷橋梁から東へ200mの地点にも
 橋梁の跡が残っている。
 この橋梁も現存するのは煉瓦造りの橋台のみで、
 桁は撤去されている。
 橋台は
イギリス積みで組まれ、桁の支承部に床石、
 天端には笠石が設けられている。

 この橋梁は築堤盛土が農道を跨ぐ跨道橋であるが、
 現在は使われていない。脇には現在の(複線化された)
 東上線の跨道橋が設けられている。
 桁に付けられた銘板には、昭和39年4月と記されている。

(注)田面沢という変わった名(それも現存しない地名)の駅名は、東上鉄道が
 開通した当時の、この付近の村名である。入間郡田面沢村は明治22年に4村が
 合併して誕生し、昭和14年に川越市と合併して消滅した。村域は現在の小室、
 今成、小ヶ谷、野田地区に相当する。なお、田面沢村の行政的な中心部は
 小室地区だったようで、大正時代末期に設置された
田面沢村の道路元標
 泉小学校の校庭に現存している。古くから拓かれた土地であり、東武東上線の北側の
 水田地帯は条里制(奈良時代から行なわれた土地の区画制度)の跡である。
 田面沢とは、それにちなんで、万葉の古歌から採った由緒ある地名だった。
 ”みよし野の田のむの雁もひたぶるに君が肩にぞよるとなくなる”
 この地も入間郡に数多く存在する、三芳野の里である。 


戻る:[鉄道橋]  東武東上線:[上り] [下り