煉瓦造り樋門の装飾 改訂10版:2006/12/21
土木構造物を設計する際には、経済性、機能性、耐久性、安全性などが重要視される。
戦前まではそれらの末席に意匠性が位置していたのだが、現代の土木構造物は機能性や
合理性によって形態が決定される傾向があり、造形に関する配慮は完全に排除されてしまった。
もっとも景観との調和という免罪符のもと、誤った方向で意匠性が復権しつつあることは否めないが。
煉瓦樋門の面壁や翼壁の天端には、煉瓦の積み方を工夫したり、石材を用いたりして様々な装飾が
施されている。概して正面(建築用語だとファサード。樋門では施設名の銘板が付けられた側、
川表に相当)の方が背面に比べて意匠性に富んでいる。明治・大正期は現代に比べて、
河川や用悪水路での舟運が盛んであったから、煉瓦樋門は水上から人に見られることを
意識してデザインされているとも言える。しかし、樋門は構造形式が定式化していること、
露出している部分が少ないこと、当時の樋門は規模が小さく上屋が存在しなかったことなどから、
橋梁に比べるとデザインの自由度は少なかった。
煉瓦樋門の装飾性は、現存する樋門や設計図を掌握した限りでは、年代別の特有な傾向や
地域性が反映された固有な特徴などに有意差は認められない。大まかな傾向をまとめると、
(1)規模の大きい樋門は装飾性を有する。
(2)装飾が施された樋門には、ある種の挌と品位が生ずる。
(3)初期に建造された樋門では部分的な飾り積みの事例が多いが、後期に建造された樋門では
樋門全体のデザインに装飾性(曲面施工など)が取り入れられている。
装飾の区分: 鋸状や歯状 迫り出し 笠石、要石、迫受石 塔 曲面施工
鋸状や歯状の装飾: 現存する樋門で、これらの装飾が施されているのは、明治36年(1903)以前に
建設された中規模以上の樋門のみである。通水断面は永府門樋を除いてアーチ型である。
つまり、樋門の建設数が少なかった頃は、大きな樋門には装飾を付加する傾向があったが、
時代を経て樋門の建設数が増大し始めると、これらの装飾は樋門の規模に関係なく、
次第に省略されるようになったと推測される。
明治20年代に建設された樋門では、建材に黒っぽい色の煉瓦が使われているものが多いが、
これらの装飾が施されていると、光の加減によって、陰影が深く立体的な帯状のラインが現れるので、
樋門の印象が平面的で単調となるのを防げる。また、石造りの大きな銘板とあいまって、豪華さも演出できる。
鋸状や歯状の装飾は面壁の天端付近に施され、帯石に相当するが、珍しい例として甚左衛門堰枠や
北河原用水元圦のように、塔の天端にまで鋸状の装飾が設けられたものも存在する。
面壁の天端付近に装飾が施された樋門は、他の部位には装飾的な要素は少なく、例えば、
翼壁の天端は煉瓦を1段または2段積んだだけのシンプルな造りが多い。例外は倉松落大口逆除であり、
この樋門では翼壁天端が4段に積まれ、その中に鋸状の装飾が施されている。
鋸状の装飾(もみじや雁木、角出しとも呼ばれる)は、煉瓦の小口を斜めに並べて角を出し、
(鋸の歯に似た)ギザギザを造り出した装飾方法であり、明治期の煉瓦建造物に特有であるようだ。
聖前門樋(戸田市、荒川、1905年、現存せず、→郷土とだ 4号、戸田市文化財研究会、1983、p.8)には、
面壁天端に鋸状の装飾が上下2段に施されていた。
一方、歯状の装飾(デンティル:dentil、dentalとも呼ばれる)は、煉瓦を小口縦に一つおきに並べた装飾方法で、
土木構造物の主流がコンクリート造りとなっても、しばらくは使われたようである。
万世橋(神田川、東京都千代田区、1930年)、新佐賀橋(元荒川、埼玉県吹上町、1933年)にも見られる。
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鋸状の装飾 (6基) 倉松落大口逆除(春日部市、旧倉松落 、1891年)、4連アーチ 、翼壁(鋸状)、竪積み、非・赤煉瓦 村岡樋管(熊谷市、吉見堰用水 、1891年)、アーチ 、要石、非・赤煉瓦 甚左衛門堰枠(草加市、伝右川 、1894年)、2連アーチ 、塔(鋸状)、非・赤煉瓦 四箇村水閘(春日部市、中川 、1896年)、アーチ、竪積み 永府門樋(吉見町、市野川用水、1901年) 2連の箱 北河原用水元圦(行田市、中条堤、1903年)、2連アーチ、塔(鋸状)、竪積み、刻印煉瓦 |
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歯状の装飾 (3基) 五ヶ門樋(庄和町、中川 、1892年) 、アーチ 、竪積み、非・赤煉瓦 大小合併門樋(志木市、新河岸川(旧堤) 、1898年) 、アーチ、変則積み 笹原門樋(川越市、八幡川?、1901年) 、アーチ 、塔、刻印煉瓦 |
迫り出し: 蛇腹、コーニス(cornice)と呼ぶこともあるようだ。明治期の煉瓦建築で多用された技法。
洋館などの一般の建築物に設けられた迫り出し(軒蛇腹)は、軒や庇としての機能を目的としている。
建築物の雨漏りや壁体への雨水の浸入を防ぐと共に装飾効果も大きい。煉瓦樋門の迫り出しも、
設置目的は建築物と同様だと思われる。煉瓦樋門では構造部位としては煉瓦造りの笠石であり、
翼壁や面壁の天端付近の煉瓦の積み方を1段毎に少しずつずらして、立体感を演出した装飾がなされて
いる。遠くからでも天端の輪郭がはっきり見えるので、樋門のシルエットが強調される効果もあるようだ。
装飾的な迫り出しを設けることは、煉瓦樋門建設の中期以降に流行ったようで、樋門の規模や
通水断面の形には関係なく見られる。段数は1段から4段で、段数が増えるほど装飾性に富んでいる。
(倉松落大口逆除の翼壁天端は、4段の迫り出しの中に鋸状の装飾を持つ、現存唯一のもの)
段数を確認できた54基のうち、2段積み以下は43基であり、比率は約80%を占める。
なお、天端の積み方(段数、煉瓦の小口と長手の組み合わせ)には9種類あることを、筆者は確認している。
(→天端の煉瓦の積み方を参照のこと)
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天端の迫り出し
(1段、7基/10基) 五ヶ門樋(庄和町、中川 、1892年) 、アーチ 、非・赤煉瓦 大小合併門樋(志木市、新河岸川(旧堤) 、1898年) 、アーチ、変則積み 吉根樋管(坂戸市、高麗川、1898年)、箱 鎌田樋管(東松山市、九十九川、1899年)、円 榎戸堰組合用水樋管(吹上町、元荒川、1901年) 、アーチ 、塔 山王樋管(川島町、長楽用水、1901年) 、アーチ 三原樋管(東松山市、都幾川、1902年) 、円 |
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天端の迫り出し
(2段、6基/33基) 33基中30基は、天端の2段が迫り出している。(例外は谷古田領元圦、甚左衛門堰枠、四箇村水閘) ここでは、1段目と2段目が異なる迫り出しをしているものを集計した。 前吐樋管(東松山市、都幾川、1903年)、円、刻印煉瓦 前樋管(東松山市、都幾川、1903年)、箱、変則積み、刻印煉瓦 新圦(幸手市、中川、1905年)、箱 二郷半領用水逃樋(三郷市、第二大場川、1912年)、アーチ 二郷半領不動堀樋(三郷市、第二大場川、1914年)、アーチ 新久保用水樋管(菖蒲町、備前堀川、1915年)、箱、塔、刻印煉瓦 |
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天端の迫り出し (3段、9基/10基) 北美圦樋(志木市、新河岸川(旧堤)、1899年)、箱、変則積み 新田圦樋(志木市、新河岸川(旧堤)、1900年)、箱、変則積み 榎戸堰(吹上町、元荒川、1903年) 千貫樋(さいたま市、荒川(旧堤)、1904年)、2連アーチ 辯天門樋(行田市、旧忍川、1905年)、アーチ、塔、翼壁が曲面、刻印煉瓦 庄兵衛堰枠(白岡町、庄兵衛堀川、1907年)、刻印煉瓦 古笊田堰(久喜市、備前堀川、1909年) 弐郷半領猿又閘門(東京都葛飾区、大場川、1909年)、4連アーチ 小針落伏越(行田市~川里町、小針落、1914年)、アーチ、刻印煉瓦 |
笠石、要石、迫受石: 笠石は天端に石材を貼ったものである。(注)
樋門内部への雨水の流入防止、天端付近の煉瓦の破損を防止、等を目的とすることもあるので、
厳密には装飾とはいいきれないが...笠石を使った樋門は、埼玉県には4基が残っているが、
小規模な樋門が多いので、これらの場合は迫り出しの代用として設けられたものであろう(施工の省力化)。
使われている石材は、矢島堰のみ花崗岩で、秋葉前堰、坂東樋管、天神沼樋は安山岩?である。
なお、翼壁の天端にモルタルを塗布した樋門も数基現存するが、これらも目的は笠石と同じであろう。
ただし、建設当初からモルタルが塗布されていたかどうかは不明である。
モルタルが塗布された樋門:大小合併門樋(志木市、新河岸川(旧堤防)、1898年)
新田圦樋(志木市、新河岸川(旧堤防)、1900年)、松原堰(行田市、1901年)、
四反田樋管(東松山市、都幾川、1905年)
アーチ型の樋門では要石と迫受石が付けられたものが、ごくわずかだが存在する。
要石とはアーチリングの中央に楔形の石材(要石、Keystone)を配したもの。
埼玉県に現存する煉瓦樋門で、要石を持つのは村岡樋管1基だけである。
ただし、村岡樋管の要石は面壁部のみで樋管内部には使われていない。
構造的な補強効果も若干あるが、主目的は装飾である。
迫受石とはアーチと側壁の結合部分に設けられた補強用の石材のことである。
埼玉県には迫受石が使われた樋門が2基残っているが、石は躯体表面にのみ配置されているので、
この2基の場合は装飾目的だと思われる。佐波樋管(川辺領圦、利根川、大利根町、1915年、現存せず)には
補強用の迫受石が設けられていた(埼玉県行政文書 大674-26)。
また、門樋型の樋門の大半には、面壁と翼壁の結合部に隅石と呼ばれる石材が嵌めこまれている。
ゲートの戸当りやゲートを差し込む溝に石材が使われている樋門もある。
これらは、構造の補強やゲートの衝突による煉瓦の破損防止を目的としたものだが、
配色(煉瓦の赤と石材の白のコントラスト)や建材の配置に変化が現れるので、装飾効果も生み出している。
埼玉県に現存する樋門は、石材が装飾に使われている割合が、他県より少ないようである。
使われている石材も、装飾効果のある花崗岩ではなく、強度を重視した安山岩である。
ただし、これは現存する樋門が中小規模ばかりだからであり、現存しない大型の樋門の写真を見ると、
埼玉県の樋門でも、石材が豊富に使われた装飾がなされている。ex..見沼代用水元圦、葛西用水元圦
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笠石 (4基) 秋葉前堰(熊谷市、1903年) 天神沼樋(吉見町、天神沼、1903年)、卵形、楕円集水枡(笠石)、翼壁が曲面(小口積み) 坂東樋管(吉見町、横見川、1905年) 箱 矢島堰(深谷市、小山川) 大正期(1926年?)に建設されたものを改築 |
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要石 (1基) 村岡樋管(熊谷市、吉見堰用水 、1891年)、アーチ 、鋸状の装飾、非・赤煉瓦 |
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迫受石 (2基) 甚左衛門堰枠(草加市、伝右川 、1894年)、2連アーチ 、塔、非・赤煉瓦 千貫樋(さいたま市、荒川(旧堤)、1904年)、2連アーチ 楔状の煉瓦組み (2基) アーチリングの上方に数個の煉瓦を小口縦に積んだ装飾があるもの。 甚左衛門堰枠(草加市、伝右川 、1894年) 榎戸堰組合用水樋管(吹上町、元荒川、1901年) 、アーチ |
(注)笠石や隅石は構造物の部位を指す用語であり、古くはその材料として石が
用いられたことに、名前は由来するようである。英語では笠石はcapstone、
隅石はcornerstoneである。コンクリートが材料の主流となった現在でも、
笠石や隅石という言葉は使われている。つまり、材料がコンクリートであっても
当該部位は笠石や隅石と呼んでいる。
塔: 塔が設けられた樋門は15基現存する。塔は煉瓦造りの柱であり、樋門の規模に合わせて、
その大きさに違いが見られる。つまり、視覚上のバランスから塔の形状は決定されている。
塔の断面は一辺が35cm~55cmの正方形で、高さは35cm~110cmである。頂部には1~4段の
笠石が積まれ、その上にモルタル製の三角錐が設けられている。
塔が付けられた樋門の建設時期に偏りはなく、初期から後期までまんべんなく建設されている。
また樋門のサイズにも依存せず、小さな樋門でも塔が付けられたものがある。
ちなみに、塔の先端には三角錐の形をした帽子(モルタル製)が設けられているが、この部分は
中に砕いた煉瓦が入れてある(煉瓦を骨材とする無筋コンクリート)。これはモルタルの使用量を
節約するためだろう。源兵衛門樋(行田市、見沼代用水、1903年)でその状況が確認できる。
塔を設ける理由は、ある種のステータスを表現するためや、樋門の存在を強調(遠くからでも目立つ)、
橋梁の親柱の代用(橋の機能を兼用していた門樋に多い)、等が考えられる。
埼玉県では煉瓦アーチ橋の建設実績は少なかったが、現存する高台橋(さいたま市、旧中山道)には、
煉瓦造りの親柱が設けられており、その外観は煉瓦樋門に酷似している。
塔は樋門の構造的には不要なものであり、完全な装飾である。
ただし、唯一の例外は榎戸堰組合用水樋管で、この樋管の塔はゲート操作のための門柱を
兼ねている。樋管本体の大きさに対して、塔が110cmと極端に高いので、これを単なる装飾として認識すると
造形的なバランスが悪いと感じるだろう。しかし、この塔の大きさは機能上の必要性から決定されている。
塔の間に挟み込まれたゲートは、構造的な補強にもなり、塔が倒壊するのを防ぐ効果がある。
榎戸堰組合用水樋管の吐き口側は、2つの塔が鉄の棒で連結されていて、橋の欄干のような形態と
なっているが、これも補強のためである。同様の形態は小剣樋管でも見られる。
門樋型の樋門では、塔の間に欄干が設けられ、橋梁を彷彿とさせる意匠のものも多い。
これは面壁を上方へ延長して塔と塔の間に壁を設けることで、塔を補強したものだが、
見た目には完全に橋の欄干と同じである。甚左衛門堰枠、北方用水掛樋(塔は現存せず)、
二郷半領用水逃樋(塔は現存せず)の塔には欄干が設けられていた。
なお、聖前門樋(戸田市、荒川、1905年、現存せず)
では、塔と塔の間に意匠を施した欄干(煉瓦造りで
十字の開口部あり)が設けられていて、塔はまさに橋梁の親柱の役目を果たしていた。
塔のデザインは、明治時代の洋風建築でよく見かけるオーソドックスなもの(学校の校門など)。
例えば、旧野本小学校の校門(東松山市下野本)は、樋門の塔と同じデザインである。
赤煉瓦造りの塔の造形は、それまで日本には存在しなかった新しい様式なので、
近代化を象徴するだけでなく、ある種の威圧感や権威を具現化したものだったのだろう。
笠石(塔の頂部に積まれた煉瓦)の段数には、以下のバリエーションがある。
笠石の段数 | 該当する塔付き樋門 |
1 | 新久保用水樋管 |
2 | 杣殿樋管 源兵衛門樋 落合門樋 笹原門樋 高畑樋管 奈目曽樋管 天神沼樋 京塚樋管 |
3 | 甚左衛門堰枠 榎戸堰組合用水樋管 小剣樋管 |
4 | 北河原用水元圦 |
石の門柱を持つ樋門は8基現存するが、どれもゲート1門の小規模な施設である(沼口門樋のみ2門)。
樋門に設けられた門柱は、強度を重視してか、ほとんどが石で造られている。
石の門柱のデザインは、日本古来の圦樋から踏襲した、神社の鳥居に似たものである。
二本の柱(男柱、戸前柱)の上に水平材(笠木)を載せた単純な構造となっている。
この門柱の形式は昭和初期に建設されたRC(コンクリート)樋門でも見られる。
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塔 (15基) 甚左衛門堰枠(草加市、伝右川 、1894年)、2連アーチ 、非・赤煉瓦 榎戸堰組合用水樋管(吹上町、元荒川、1901年) 、アーチ 三間樋(騎西町、新川用水、1902年)、3連アーチ、埋没 杣殿樋管(行田市~熊谷市、忍川、1903年)、箱 北河原用水元圦(行田市、中条堤、1903年)、2連アーチ 源兵衛門樋(行田市、見沼代用水、1903年)、アーチ、塔のみ現存 落合門樋(騎西町、見沼代用水、1903年)、アーチ、埋没、刻印煉瓦 辯天門樋(行田市、旧忍川、1905年)、アーチ、翼壁が曲面、刻印煉瓦 新久保用水樋管(菖蒲町、備前堀川、1915年)、箱、刻印煉瓦 笹原門樋(川越市、八幡川?、1901年) 、アーチ 、刻印煉瓦 高畑樋管(東松山市、都幾川、1903年)、箱、変則積み 奈目曽樋管(東松山市、都幾川、1903年)、箱、刻印煉瓦、変則積み 天神沼樋(吉見町、天神沼、1903年)、卵形、楕円集水枡、翼壁が曲面(小口積み) 京塚樋管(川島町、長楽用水(都幾川)、1903年)、箱 小剣樋管(東松山市、都幾川、1914年)、箱、変則積み 石の門柱 (8基) 米ノ谷樋管?(杉戸町、中川(旧堤)、1897年)、箱、変則積み 鎌田樋管(東松山市、九十九川、1899年)、円 松原堰(行田市、1901年)、1門 堂前堰(行田市、1901年)、1門 皿田樋管(蓮田市、元荒川、1903年)、円 山形樋門(富士見市、新河岸川(旧堤)、1904年)、箱 沼口門樋(川越市、伊佐沼、1905年)、2門 笠原樋(鴻巣市、元荒川、1905年) ←旧野本小学校の校門(東松山市) |
曲面施工: 翼壁や側壁の形状が平面ではなく、曲面であるもの。
煉瓦樋門建設の最盛期に現われた施工形式である。この時期には施工の省力化や建設費を
抑えるために箱型の樋門が出現してきた反面、建設がめんどうな曲面施工も出現したのである。
煉瓦樋門建設の初期に見られる鋸状や歯状の装飾は、面壁天端付近のみの部分的な
装飾だったが、曲面施工は樋門全体のデザインを考慮した円熟期の意匠である。
埼玉県には9基が現存し、内訳は堰6基、樋門1基、掛樋1基、その他1基である。
興味深いことに、現存する曲面施工の水門は、1901~1908年の短期間に建造されたもので、
中川水系に偏在し、特に忍領(現.行田市の周辺)に多く分布している。
唯一、形式が樋門である辯天門樋は、川表の翼壁の形が左右非対称で、片方の翼壁のみが
曲面施工され、しかも天端の形状は平面ではなく、ねじりが入った非常に珍しいものである。
翼壁天端にねじりが入った意匠が見られるのは、現存する煉瓦水門では辯天門樋と天神沼樋のみである。
煉瓦を曲面に配置する場合、規模の小さい施設だと曲率の関係から、イギリス積みは不可能となる。
例えば、松原堰と堂前堰は躯体はイギリス積みであるが、曲面である側壁には部分的ではあるが、
小口積みが使われている。なお、天神沼樋は翼壁全体が小口積みで組んであり、
これは埼玉県の煉瓦水門では現存唯一である。
煉瓦を使って曲面施工するには、(1)加工煉瓦(普通煉瓦を現場で所定の形に切ったもの)を使う、
(2)普通煉瓦のみを使って目地の幅を調整しながら組む、(1)と(2)を併用する方法がある。
いずれにせよ、煉瓦を平面に積む場合より熟練を要し、施工には手間がかかる。
さて、曲面施工だが、堰の場合は袖壁や側壁が曲面であると、流入損失水頭が小さくなるので、
水理学的に有利となる。また水流が乱れるのを抑止できるので、堰地点の河床が洗掘されるのを
防ぐ効果もある。しかし、排水樋門ではあまり意味がないので、装飾を目的としたものといえよう。
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曲面施工 (9基) 松原堰(行田市、1901年) 側壁 堂前堰(行田市、1901年) 側壁 三ッ木堰(鴻巣市、元荒川、1902年) 側壁 笠原堰(鴻巣市、元荒川、1902年) 側壁 万年堰(宮代町、備前前堀川、1902年) 袖壁(ただし煉瓦は現存せず) 秋葉前堰 (熊谷市、1903年) 側壁 天神沼樋(吉見町、天神沼、1903年)、翼壁、楕円形集水枡、卵形、塔 辯天門樋(行田市、旧忍川、1905年)、翼壁、アーチ、塔、刻印煉瓦 瓦葺掛樋(蓮田市~上尾市、見沼代用水が綾瀬川を横断、1908年)、刻印煉瓦 |
個人的な嗜好: 以下は装飾の定義から外れる、煉瓦に関する個人的な趣味の話。
筆者は、煉瓦を用いた最も視覚的に効果のある装飾は、煉瓦の破損と汚れだと密かに思っている。
人為的に創出された造形ではなく、時間の経過と風や雨、そして洪水という自然現象に全てを
委ねた結果である。そこには100年にも及ぶ時間の流れが全て凝縮されている。
破損はひび割れは困るが、隅部が欠けて丸みを帯びた状態や表面が風化して
平面ではなくなっているのが好ましい。汚れは煉瓦の表面に水垢が適度に付着していたり、
経年劣化で表面が焼けたような感じになっていたりするのが良い。目地の隙間から雑草が
生えていたりすると非常に嬉しい。煉瓦は質の高い工業製品(例えば日本煉瓦製造製の形状が
均一な煉瓦)ではなく、町工場が手抜きで成形し、薪窯で焼き上げた形が不均一な煉瓦に限る。
この煉瓦だと目地厚も不均一となり、単なる煉瓦の壁体のくせに、妙に自己主張をするのである。