二郷半領不動堀樋 (その1)(その2)(その3

 所在地:三郷市戸ケ崎、第二大場川  建設:1914年

  長さ 高さ 天端幅 翼壁長 袖壁長 通水断面 ゲート その他 寸法の単位はm
巻尺または歩測による
*は推定値
上流側 23* 4.2*       アーチ
直径3.4*
 
下流側 5.3 5.7 1.3 戸当り

 二郷半領用水の悪水路:不動堀(現.第二大場川)に、逆流防止用として建設された樋管である。
 不動堀は、新編武蔵風土記稿の葛飾郡(1巻、p.385)によれば、二郷半領27ヶ村の悪水落として、
 延宝二年(1674)に開削されている。当初は江戸川に合流していたのだが、排水不良が
 顕著だったようで、寛政四年(1792)に排水先が古利根川(現在の中川)へと変更されている
(補足)
 第二大場川は、ここから100m下流で大場川に合流し、大場川は1Km下流で中川へと合流する。
 中川の近代改修が完了したのは昭和初期であるが、それまでは大雨で中川の水位が高くなると、
 合流する大場川は排水不可能となっていたようである。
 そして不動堀には大場川からの逆流水が遡ってきたのであろう。
 かつて、この地域は中川の頻繁な氾濫に直面していた。不動堀樋の北側100mには、
 
二郷半領用水逃樋(煉瓦造りの余水吐)、南側100mには猿又閘門煉瓦造りの制水門
 設けられている。
これらは住民が水と闘った歴史を示す近代化遺産である。

 不動堀樋は明治29年(1896)及び明治38年(1905)に木製で伏せ替えられているが、
 敷高が高すぎたようで悪水の排水に支障があった。本施設は腐朽した木製樋管を
 煉瓦造りで改築したもので、懸案だった敷高を低くし、悪水の排水能力を向上させると共に、
 舟運の便を考慮して樋管の位置を変更している。
 不動堀は肥舟(農業用の肥料を積んだ舟)の運行のための重要な水路だったからである。

 不動堀樋は弐郷半領用悪水路普通水利組合(管理者は北葛飾郡長)が、県税の補助(町村土木補助費)と
 
埼玉県の技術指導を得て、戸ケ崎村大字戸ケ崎に建設した(建設費は約11,014円)。
 工事は埼玉県の直轄で行なわれ、大正3年4月1日に着工し、同年5月30日に竣工している。
 工事担当者は二郷半領用水逃樋と同じく、北葛飾郡技手の金子峯吉。
 使用煉瓦が約12万5千個(
焼過特別一等煉瓦:31,700個、並焼一等煉瓦:120,400個)、
 樋管の長さが74尺8寸(22.4m)、通水断面が幅12尺(3.6m)、高さ11尺7寸(3.5m)の
 大規模な樋管である
(埼玉県行政文書 大438-80)。アーチ径は埼玉県に現存する煉瓦樋管では最大だ。

 使われている煉瓦は仕様書に、”購入地 金町ヨリ一里九丁、草加町標準ニヨル”とあることから、
 
金町煉瓦の製品だと思われる。草加町標準とは、埼玉県予算単価及び歩掛内規(公共工事に用いる、
 建設資材の標準価格を県が独自に調査したもの)での、各鉄道駅までの搬送費を含んだ煉瓦の
 標準価格のことであり、標準資材だった日本煉瓦製造の製品を、草加駅経由で戸ケ崎村まで
 搬送した場合の価格に相当する。なお、セメントは浅野セメントの製品が使われている。
 埼玉県立文書館には不動堀樋の設計原図、設計仕様書を含む関連文書が保管されている。

(補足)不動堀の規模と様子は、武蔵国郡村誌(明治9年の調査を基に編纂)の葛飾郡寄巻村(14巻、p.6)に
 ”深三尺
 巾広処十三間狭処五間 村の東方鎌倉村飛地より来り 西方戸ヶ崎村に入る
 其間七町十二間以上 全村の悪水を落す”とある。川幅が五間(9.1m)から十三間(23.6m)と
 大きく変化しているのは、本格的な河川改修が施されていない証拠であろう。
 なお、寄巻村は
戸ケ崎地区の東側、現在の三郷市鷹野地区の付近。

(追補)二郷半領不動堀樋は、土木学会の[日本の近代土木遺産]に選定された。
 →日本の近代土木遺産のオンライン改訂版、書籍版は日本の近代土木遺産(土木学会、丸善、2005)。

 不動堀樋(上流側)
↑不動堀樋(上流側)
 樋管の上のコンクリートは、歩行者専用道のもの。
 歩道は翼壁の大半を覆っているので、
 上を歩いていても下の樋管には、なかなか気づかない。
 上流側の銘板には
竣功年が刻まれている
 こちら側が樋裏であることを示している。
    不動堀樋(下流側)
    ↑不動堀樋(下流側)
     樋管の上は、県道67号葛飾吉川松伏線。
     下流側の銘板には
施設名が刻まれている
     右岸の翼壁には工事関係者の名を刻んだ
     黒い銘板がはめ込まれている。ゲートの戸当りは煉瓦造り。
     通水断面は下流側の方が若干小さく、
途中で漸縮している。

 面壁とアーチ部(下流側)

 ←面壁とアーチ部(下流側)
 面壁天端には笠石が設けられ、施設名の銘板を兼用している。
 また笠石の天端と樋管の天端の間には段差があり、
 ここがゲートの操作台となっている。

 アーチリングは4重の小口巻き立て
 普通煉瓦のみで異形煉瓦(くさび形)は使われていない。
 アーチ径が大きく曲率に余裕があるためだろうか、
 煉瓦積みは端正である。
 アーチ中央の要石のように見える部分はコンクリート。
 関東大震災によって生じた煉瓦の亀裂を
 修復した跡である(埼玉県行政文書 大1550-46)。

 基礎用の杭(長さ12尺、直径6寸の松丸太)は
 170本が使われている。
 建設地の地盤が予想以上に軟弱なことが判明し、
 設計当初の杭数では支持力が不足するので、
 建設途中で杭の数を増量している。

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